大会シンポジウム概要

日本英文学会関東支部11月大会英米文学シンポジウム

  • 「詩の〈かたち〉のありか:ことばを縛るもの、生み出すもの」
  • 映画『いまを生きる(Dead Poets Society)』に、ロビン・ウィリアムズ演じる国語教師が生徒たちに、詩の教科書の序論部を破り捨てるよう促す、印象的なシーンがあった。韻律や押韻形式、またそれらの組み合わせとしての詩形を確認する作業は、うっかりすると、文学研究者にとってさえ、必要だけれども格別刺激的でもない単なる手続きと感じられることがあるかもしれない。とはいえ、詩が詩として成り立つには、なにがしかの〈ことばのかたち〉への配慮があるはずだ(定型から逃走することで純粋なポエジーを抽出しようとする、自由詩や散文詩の試みまで含めて)というあいまいな確信も捨てがたい。あらゆる詩に適応可能な分析ツールとしての形態論に代わるものとして、ひとつひとつの作品がわたしたちの感情や知性に訴えかける、詩の魅力の源としての〈かたち〉をどこかに想定することはできないだろうか。あるいはそれを、詩が生まれる時、言葉に形を与えているはずのさまざまな契機のようなもの、と言い換えても良い。とりわけ、歴史主義的・政治的な文脈の中へと文学作品を差し戻すことが、批評的態度の当然の前提となっている今日、伝統的詩形論とは別の場所に(も)、詩の〈かたち〉のありかを探すことが強く求められていると言えるだろう。たとえば、父祖伝来の民族の声が詩人に共鳴して生まれる詩、視覚的イメージの鑑賞から生まれる詩、あるいは、歌として反復するメロディーとともに生まれる詩や、友人・仇敵との社交や同時代の政治的事件など、詩人を取り巻く環境から生まれる詩もあるだろう。テーマの性質上、結論めいたものは出ないかもしれないが、詩への愛を学識で包んで語る講師陣がご用意する「たのしい詩の時間」をどうぞお楽しみに。
  • (青山学院女子短期大学教授・松村伸一)
  • 立命館大学准教授 竹村はるみ 「“To teach the ruder shepheard how to feede his sheepe”―『羊飼いの暦』とスペンサーの詩的構想」
  • エドマンド・スペンサーの『羊飼いの暦』は、木版画、詩、注釈を組み合わせた特異な体裁が示すように、活字印刷を前提として書かれた詩集という点で画期的な作品となった。手稿文化から出版文化への転換は詩の<かたち>をどう変えたのか――華麗な技巧で同時代の詩人達を瞠目させたスペンサーが詩形に託した出版戦略を分析したい。
  • 慶應義塾大学准教授 髙橋勇 「祈りのかたち――イギリス聖歌の形態的考察」
  • 本パネルでは、まさに詩と音楽の融合であり、長らく真の意味での「大衆文学」であった詩篇・聖歌を、音声・語彙・詩形・内容・曲などの面から検討することで、広義の詩形・ジャンルの持つ媒体としての重要性を考えます。この「教会で歌われる聖歌」が負っている内的・外的要請はまた、教会外の文学的聖歌や宗教的オード/ソネットなどとの相違を生み出す要因でもあり、その特徴を理解する一助ともなるはずです。
  • 東京大学准教授 アルヴィ宮本なほ子 「詩の誕生とロマンティック・トラヴェル」
  • 詩が生まれる時の<かたち>とは、魅力的かつ根源的なテーマですが、詩が「生まれる」――「作られる」ではなく――という言い方自体に、ロマン派的な起源を見る人も多いのではないでしょうか。はたしてそうなのか。私の担当部分では、詩が「生まれる」時について語ったロマン主義の詩とその<かたち>を取り上げます。旅や日常のなかの非日常の瞬間を契機に詩が「生まれる」場合焦点をあて、キーツの「初めてチャップマン訳のホメロスをみて」(ソネット)シェリーの「モンブラン」(不規則押韻形式)を扱います。
  • 和光大学准教授 遠藤朋之 「『弱強格』に代わる『定型』」
  • The Pisan CantosにおいてEzra Poundは、自由詩の端緒となった自らのImagismの活動を、「弱強格をぶっ壊すこと、それが最初の力仕事だった」と語った。だが「自由詩」とは、勝手気ままに詩作することではない。その背後には「弱強格」に代わる何らかの「形式」があるはずである。本パネルにおいては、その形式をPound の考えていた“aesthetics”に求めてみることとする。