日本英文学会関東支部4月例会プログラム

日時:2008426(土)

於:東京大学駒場キャンパス

12:30〜12:50(18号館ホール):

開会に先立って(諸連絡など)

 

13:00〜14:30(18号館ホール):

シムポジアム

「英国小説のキャノンと帝国――ディケンズ、ブロンテ、サッカレー」

司会兼講師:冨山太佳夫(青山学院大学教授)

講師:斎藤兆史(東京大学准教授)

講師:坂田薫子(京都教育大学准教授)

 

14:45〜16:15:

シリーズ名作を読む(18号館ホール)

Samuel Taylor Coleridge, “The Rime of the Ancient Mariner” (1798)

講師:藤巻明(立教大学教授)

ディスカサント:アルヴィ宮本なほ子(東京大学准教授)

 

英語教育部会(18号館4階コラボレーションルーム1)

14:45〜15:15:

研究発表:樫村真由(岐阜工業高専専任講師)

「日本の高等教育におけるライティング授業でのpeer reviewの使用についての調査」

 

15:15〜16:15:

講演:寺西雅之(兵庫県立大学准教授)

「これからの英語教育の展望:真のコミュニケーション能力育成を目指した文学作品の活用法(仮題)」

 

16:30〜17:30

研究発表

袖野浩美(首都大学東京大学院博士課程)

「目に見える恐怖―マシュー・グレゴリー・ルイスのゴシック劇作術」

司会:加藤光也(首都大学東京教授)

(18号館ホール)

 

中井理香(立正大学専任講師)

「語る・語らぬ物語−−歴史と時間の構造をめぐって」

司会:秦邦生(津田塾大学専任講師)

(18号館4階コラボレーションルーム1)

 

18:00〜20:00

懇親会(村山敏勝さんを偲ぶ会)(コミュニケーション・プラザ2階)

 

発表等に関する問合先:末廣幹

関東支部の事務運営に関する問合先:関東支部事務局 田村斉敏

 

 

日本英文学会関東支部第2回大会プログラム

期日 2007922(土)

会場 慶應義塾大学日吉キャンパスhttp://www.hc.keio.ac.jp/index-jp.html

12時―1230(J11番教室)

関東支部総会

支部長挨拶、事務局から事業報告・会計諸報告、役員選挙に関する説明など

1230分―1830分(J414番教室)

役員選挙会場(投票ルーム)開室

13時―14時(J11番教室)

シリーズ名作を読む@――「『ハワーズ・エンド』とイングリッシュネス・スタディーズ

司会・講師 丹治愛(東京大学教授)

講師 河野真太郎(京都ノートルダム女子大学専任講師)

1415分―1515分(J11番教室)

特別講演「ジョン・ホークスと飛田茂雄

講師 若島正(京都大学教授) 

司会 折島正司(青山学院大学教授)

1415分―1645分(来往舎1Fシンポジウムスペース)

シンポジウム「さまざまな9月――『9・11』と現代演劇

司会 谷岡健彦(東京工業大学准教授)

講師 水谷八也(早稲田大学教授)、田尻芳樹(東京大学准教授)、小澤英実(東京大学大学院) ★名前をクリックすると発表要旨を読めます。

1415分―1645分(来往舎2F中会議室)

日本英文学会関東支部英語教育・学習研究会第6回例会(日本英文学会関東支部大会) 

 14:15-15:00 研究発表

大学経営戦略としての英語モバイル学習の可能性

発表者 菊地俊一(名古屋外国語大学教授)

15:00-15:45 ワークショップ

 英語教師のための英語力増強講座−第3回 学習英文法

講師 斎藤兆史(東京大学准教授)、北和丈(秀明大学専任講師) 

15:45-16:45 特別講演「私の英語教育論

講師 津田幸男(筑波大学教授)

問合せ:北和丈(047-488-2111 内線207 / kita@stu.shumei-u.ac.jp

17時―18時(来往舎1Fシンポジウムスペース)

研究発表 「D.H. LawrenceMasochism: 苦しみから生まれる『新しい男』の姿

発表者 佐藤寛子 (バーミンガム大学大学院、神奈川工科大学非常勤講師)

司会   遠藤不比人(首都大学東京准教授) 

17時―18時(来往舎2F中会議室)

研究発表 「『夢』における"bower"の表象:メアリー・シェリー流『聖アグネスの前夜』

発表者 市川 純 (早稲田大学大学院)

司会  笠原順路 (明星大学教授)

 

 当日、懇親会の予定もありますのでふるってご参加ください。詳細は関東支部ホームページ等でお知らせします。

 

※ ※ ※ ※ ※

 

以下研究発表、シンポジアム等要旨(まだそろっていないものもありますがご寛恕ください)

 

シリーズ名作を読む@――「『ハワーズ・エンド』とイングリッシュネス・スタディーズ」

司会・講師  丹治 愛 (東京大学教授)

講師 河野真太郎 (京都ノートルダム女子大学専任講師)

 

関東支部では新しく「名作を読む」というシリーズをはじめることになり、その1回目を頼まれました。なにをもって名作と呼べるのか考えることなく(考えてもわからないのは明らかなので)フォースターの『ハワーズ・エンド』を選びました。この作品についてはイングリッシュネスという概念との関連で10年ほど前に論文を書いたことがあったのですが、そしてそのときにはうまく書けたかもしれないという自惚れがあったのですが、その後、残念ながらそうではないことに気づかされることになりました。解釈にとりこめないまま放棄した細部が多すぎたからです(もしかしたら、それが「名作」の証なのでしょうか)。その間、Jed EstyのA Shrinking Island (2004)をはじめとして、イングリッシュネス・スタディーズは大きく展開しました。その分野がにわかに活気づいたことは風の噂に聞いておりましたが、ただ、わたしはそのすべてを追うことができないでおりました(これは部分否定ではありません)。というわけで、今回は河野さんにお出ましいただいて、イングリッシュネス・スタディーズの概要と可能性を解説していただきながら、フロアの方たちと一緒に『ハワーズ・エンド』の読みにくさについて再考させてもらいたいと思っています。これから暇を見つけて勉強したいと思いますが、かつて読めなかった細部が今回の準備のなかで読めるようになるというハッピー・エンディングを用意はできないと思いますので、一緒に解釈のこころみにご参加いただければ幸いです。

(丹治 愛)

 

 特別講演

ジョン・ホークスと飛田茂雄

講師 若島 正 (京都大学教授) 

司会 折島正司 (青山学院大学教授)

 

For Shigeo

Who did the "impossible"

by translating this

"impossible" book

with Japanese --

With all thanks, and

all thanks for your

friendship --

     With all admiration

        and best wishes,

              Jack

Providence        27 August 1996

 

 ジョン・ホークスは、The Cannibal(『人食い』)の翻訳者である飛田茂雄に贈った同書に、このような感謝の言葉を書き記している。難解なことで知られるホークスの作品を、飛田茂雄が一読者としてどのように読んだのか。そしてどのように翻訳したのか。遺された飛田茂雄の蔵書に見られる書き込みなどから、「ホークスを読む飛田茂雄」を可能なかぎり忠実に再現することによって、この二人に対するささやかな献花としたい。言及する作品は、The Cannibalおよび Travesty(『激突』)である。

(若島 正)

 

 シンポジウム さまざまな9月――「9・11」と現代演劇

  スクリーンには、ひとり机に向かって便箋にペンを走らせている男が写っている。「愛する者を亡くしたみなさん」と、このロンドン在住のチリ人の音楽家はニューヨークの人々へと宛てた手紙を書き出す。「わたしの愛する者たちも殺されました。同じ9月11日、それも同じ火曜日に」。2002年に公開されたオムニバス映画『セプテンバー11』にケン・ローチ監督が寄せたパートの冒頭の場面である。奇しくも1973年と2001年の9月11日はいずれも火曜日だった。28年もの年月を隔てたこの火曜日に、チリのアジェンデ政権とニューヨークの世界貿易センタービルは暴力的に倒壊させられたのである。ケン・ローチの短編は、このふたつの「9月11日」を別個に切り離すことなくとらえることを観客に要求している。

 2007年、9月11日はまた火曜日にめぐってきた。そこで、現代の英米演劇の研究に関わる者として、あらためてこの「9月11日」ひいては現代の政治の問題を有力な劇作家の作品を通して考えてみようと思う。考察のための視点として、1973年の軍事クーデター以降、亡命生活を余儀なくされながら、外からチリの社会を見つめ続けてきた劇作家アリエル・ドーフマン、2005年のノーベル文学賞受賞記念講演をはじめとして随所でアメリカ合衆国のラテンアメリカ諸国に対する政策をきびしく批判しているハロルド・ピンター、そしてアメリカ合衆国からは、2001年の「9月11日」の事件を予見していたとも言われる戯曲『ホームバディ/カブール』の作者トニー・クシュナーの3人を取り上げることにしたい。チリ、イギリス、アメリカ合衆国というさまざまな視点からの考察が、東京にいるわれわれの「9月」をとらえ直す機会を提供できれば企画者としては望外の喜びである。

谷岡健彦 (東京工業大学准教授)

 

ふたつの9.11の間

アリエル・ドーフマンにとって、9.11とは1973年9月11日のチリ軍隊による軍事クーデター以外の何物でもない。民主国家としてのチリの歴史はこの日、暴力的に停止させられた。(チリの民主主義の歴史は日本よりも長い。)このテロ、またそれに続くピノチェト軍事政権下で、多くの市民が虐殺された。さらに軍に拉致され、いまだに生死のわからない多くのデサパレシード(行方不明者)がいる。このテロを強力に推進していたのはアメリカである。

亡命先でドーフマンは、死に取りつかれた作家となった。彼は死者の声を、いまだに生死のわからない多くのデサパレシードのうめきを代弁する役割をみずからに課している。

73年の9.11以後、時間をかけて完成させたDeath and the Maiden, Widowsで、彼は民主主義の根本を問い直し、近代を見つめなおそうとしている。そのドーフマンは2001年の9.11をどうとらえたのか。一つの答えは2004年に日本の新国立劇場で上演されたThe Other Sideにある。今回の発表では、ドーフマンの戯曲に漂う絶望感の果てにかすかに感じ取れる光明の意味について考察できればと思う。

水谷八也 (早稲田大学教授)

 

Homebody/Kabulと黒い九月――Tony Kushnerにおけるテロリズムへの眼差し

 

本発表では、2001年12月のニューヨークで初演され、同時多発テロを予言した戯曲として大きな話題を集めたTony KushnerのHomebody/Kabul(2000)を題材に、アフガニスタンへ旅立つロンドン在住の白人女性の眼差し<ツーリスト・ゲイズ>を通し、Kushnerが演劇という表現形式のうちに提示する身体と言語の問題、社会状況に対する応答責任性に焦点を当てる。また、9.11以降のKushnerの仕事として、1972年9月のミュンヘンオリンピックにおいてBlack Septemberのメンバーが起こしたテロ事件を描いたSteven Spielberg監督の映画Munich(2005)にも触れながら、Kushnerにとって演劇と政治におけるactingの交差について考察する。

小澤英実 (東京大学大学院)

 

ハロルド・ピンターと政治

ハロルド・ピンターはノーベル賞受賞講演を、芸術においては真実は不確定だが、市民としては真実を見極めねばならないと述べることで始めている。そして、講演の大半を市民として、(9.11のテロ後のイラク戦争も含めた)アメリカ合衆国の外交政策を糾弾することに費やしている。

本発表では、そのようなピンターの政治活動家としての側面と「不条理演劇」とみなされる意味の不確定な劇作品との関係について、ノーベル賞講演を元に考察し、ピンター劇における「政治」の意味を解明する予定である。

田尻芳樹 (東京大学准教授)

 

研究発表

「夢」における"bower"の表象:メアリー・シェリー流「聖アグネスの前夜」

早稲田大学大学院 市川 純

メアリー・シェリーという作家は、ロマン主義時代の文学においてどのような位置付けが可能なのだろうか。メアリーを同時代のロマン主義文学者と比較して論じたものとなると、とりわけ夫のパーシー・ビッシュ・シェリーと絡めたものが多く、その他となればコールリッジやバイロン卿、あとはワーズワスや、歴史小説との関係でスコットが挙げられるくらいであり、キーツとの関連性を探ることが出来た論文は極めて少ない。だが、この時代の文芸思潮におけるメアリーの位置付けを探る場合、キーツをその射程から外すわけにはいかない。今回はキーツの代表作の一つである「聖アグネス祭の前夜」と、メアリーの短編小説「夢」とを、女性の私室、及び木陰を意味する “bower”を通した性的表象としての 文学という観点から考察し、メアリーが持つ独自性を浮き彫りにして、男性ロマン主義詩人達に対するメアリーの立場を考察するものである。

 

D.H. LawrenceMasochism: 苦しみから生まれる「新しい男」の姿

バーミンガム大学大学院、神奈川工科大学非常勤講師 佐藤寛子

19-20世紀のRomanticismDecadenceSadeSadismの伝統下にあるとMario Prazが唱えて以来、暴力、死、「変態」性欲に彩られるその時代の性の問題はしばしば単純にSadismに還元されてきた。しかし1967年にGilles Deleuzeは、「Masochism」とは、その語のもとになった19世紀の作家・Sacher-Masoch(1836-1895)の文学作品に表現された思想と感性の芸術的表現形式であると提唱した。以後、Sacher-Masochの同時代人によるテキストをサド的と言うよりもマゾ的であると見る批評が徐々に増えてきている (Noyes, Mansfield, Felski, Silverman, Dijkstra)。そして、Lawrence の作品もSacher-Masochとの比較の対象に取り上げられている。実際Lawrenceは、女に抑圧される男の屈辱と苦悩のテーマをSacher-Masochと共有するだけでなく、その他の強迫観念(退廃する現代文明観、辱められた父権への郷愁、興隆する女性とブルジョワ大衆に対する嫌悪と恐怖、インテリ芸術家としてのエリート主義、オカルティズム等)をも分かち合う。本稿は、 Masochismをその時代に共通する性とジェンダーに関する文学表現の一つと位置づけながら、Lawrenceの作品(特にThe Plumed Serpent Aaron's Rod)における「新しい男の誕生」のテーマとMasochismとの関係を考察する。 

      ※ ※ ※ ※

 

日本英文学会関東支部英語教育・学習研究会第6回例会

 

研究発表

大学経営戦略としての英語モバイル学習の可能性

名古屋外国語大学教授 菊地俊一 

大学設置基準の緩和により、卒業要件124単位のうち、約半分の60単位までを外部取得単位で充当できるようになっている。学生は入学した大学以外から何らかの手段でこの60単位を取得してよいのであるが、国内の通学制大学においてそうした柔軟な対応をしている大学はまだない。しかし、私立大学の4割が定員割れの学科をかかえている現状において、大学の経営状況の良し悪しに関わらず、この60単位を国内外に向けていかに発信するかが大学の経営戦略として今後重要になるものと思われる。今回の発表では、外部取得方法のひとつとしてモバイル学習に注目し、ハーバード大学やMITも真剣にその活用に取り組みだしたPodcastingによるiTune-Uと仮想空間Second Lifeによる教育を紹介したい。ICTの進歩、普及により、従来の大学という概念が薄れ、複数の大学からモバイル学習で取得した単位の累積により卒業できる時代が来ないとも限らない。それは同時に対面授業の質が問われる厳しい時代をも意味しているのである。

  

ワークショップ

英語教師のための英語力増強講座−第3回 学習英文法

 東京大学准教授 斎藤兆史  

秀明大学専任講師 北和丈

英文法の学習過程において提示される無数の例文は、とりわけ非母語話者にとっては重要な意味合いを持つ。だからこそ、例文の質を問う議論は断続的に続いてきたのであり、そうした議論の趨勢は、英文法教材の内容に如実に反映されてきた。かつては通過儀礼のように記憶されてきた数々の例文が「受験英語」のレッテルによって半ば駆逐され、所謂「実用に即した」例文に取って代わられたのも、あくまでそうした動きのひとつであり、恐らくこれで問題が決着するわけではあるまい。

果たして、英文法学習における効果的な例文とは何か。この大きな問題に対するわたしなりの答えを提示し、それを契機として来場者の方々にも議論を展開していただきたい。

  

特別講演

私の英語教育論

講師  津田幸男 (筑波大学教授)

私はかれこれ20年以上にわたって「英語支配論」を展開してきました。「英語が世界標準語でいいのだろうか?」「英語支配により、英語を母語としない私たち非英語圏の人間は言語差別を受けているのではないだろうか?」「英語教育はアメリカナイゼーションの装置になっているのではないだろうか」等、問題提起をしてきました。その「英語支配論」をまず簡単に紹介して、その観点から「私の英語教育論」をお話したいと思います。

また、最近半年ほどアメリカで講義、講演する機会がありましたので、その体験も織り交ぜながら、日本の英語教育の方向性について私の考えをお話いたします。

「英語支配」を批判する立場からの英語教育論は果たしてお役に立つかは分かりませんが、英語教育に対する視点を広げていただければ幸いです。

 

 

日本英文学会関東支部「学術書翻訳者育成

ワークショップ 第11回・第12回開催のお知らせ

第11回 8月 27日(月) 14時〜17時  青山学院大学 渋谷キャンパス 1134教室

第12回 8月 28日(火) 14時〜17時            同上教室

第11・12回「キャノン小説を改訳する――ディケンズ、オースティン、エリオット」 講師:富山太佳夫

 外国語でしか読むことのできないテキストを、新しく自国の読書界に紹介するのが、「翻訳」の一次的な責務であるのかもしれない。しかし翻訳文には明らかに「賞味期限」がある。それゆえ時代を超えて読まれるに値する「名作」については、「改訳」が必要になる。「改訳」の態度・方針はどうあるべきなのか?講師が、ディケンズ『二都物語』、ジェイン・オースティン『高慢と偏見』、ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』をテキストとして実践的に教示する。

 また「改訳」では必然的に、原著者が言葉によって伝えようとした表層的な意味の次元を超えて、言葉の連なりに露呈している「作者」の無意識的な意図――それはひそかに介入する「歴史」と複雑にからみ合っている――を読みとることが強く要請される。加えて訳文を、より多くの現代の読者に開かれたものにすることにも敏感であらざるをえない。その意味で「改訳」は、「翻訳」において特殊な行為ではなく、普遍的な営為であるともいえる。二日間の講義で、「改訳」というある意味では正当な解釈行為を通じて、「大作家」の「名作」が孕みもつ思いがけない意味が浮かび上がることになるだろう。

参加費無料・事前登録不要

課題英文について:講師の富山氏から「翻訳(WS)のテキストはDickensのみ。AustenEliotは文体を説明するための資料です。研究論文のテキストは第1日目に配布します」との指示がありました。テキストはPDFファイルでアップしてありますので、上▲の青下線部をクリックしてください。

課題翻訳を提出する方は、課題英文を自身で和訳したもの(任意のA4用紙に印字、自筆署名)を、第11回ワークショップの際にご持参ください。

*前回のサイードの課題翻訳文は、講師より8月中に返却されますので、もうしばらくお待ちいただければ幸いです。

 問い合わせ:田中裕介 ytanakayf7.so-net.ne.jp (◎には@を入れてください。)

 

 

関東支部7月例会プログラム

期日: 2007721(土)

会場: 専修大学神田キャンパス http://www.acc.senshu-u.ac.jp/koho/campus/index06.html

13001330 事務局より連絡(役員選挙などについて)<302教室>

13301530 シンポジウム<302教室>

「感性表現の英米文学―人間の感覚は何をとらえ、どう表現するか?」(趣意書

パネリスト:

古英語・中英語の場合―伊藤盡(杏林大、司会兼)

ロマン派と神経表象―石塚久郎(専修大)

19世紀〜20世紀小説―大久保譲(埼玉大)

アメリカ詩―渡部桃子(首都大学東京)

コメンテーター(現象学、知覚心理学の立場から):河野哲也(玉川大)

14:30-17:45 英語教育・学習研究会第5回例会<204教室および302教室>

*従来とは時間帯が変わっています。ご注意下さい。英語教育・学習研究会に関する問合せ先:北和丈(047-488-2111 内線207 / kita@stu.shumei-u.ac.jp ウェブサイト:http://www.elsj.org/gakushu/

<204教室>

14:3014:45 事務連絡

14:3015:15 研究発表「文学作品を英語学習教材にするための諸考察」

関戸冬彦(立教大(兼任講師)

15:3016:30 ワークショップ 「英語教師のための英語力増強講座−第2回 読解」

斎藤兆史(東京大) 真野泰(学習院大)

<302教室>

16:4517:45 特別講演「教室で学ぶ英語、自宅で学ぶ英語」

講演者:富山太佳夫(青山学院大)

 15401640 支部企画委員による分野別研究将来構想トーク302教室>

20世紀英文学と文化史記述の方法―『愛と戦いのイギリス文化史19001950』を素材にして」

司会:川端康雄(日本女子大)

話題提供者:遠藤不比人(首都大学東京)、木下誠(東京成徳大)、武藤浩史(慶應大)
 

15401640 研究発表<201教室および206教室>

201教室>「ヘミングウェイスタイル:ハードボイルドの裏に隠されているもの」

発表者:倉林秀男(杏林大)、ディスカッサント:上西哲雄(東京工大)

206教室>「『退場する語り手』:Old Curiosity Shop Master Humphrey's Clock

発表者:川村恵子(東京大(院))、ディスカッサント:田中裕介(成城大(非))

 17301930 懇親会 <7A会議室>

今回は新しい試みとして学内で行います。

 

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シンポジウムの内容

感性表現の英米文学―人間の感覚は何をとらえ、どう表現するか?」

例えば、山野の彼方に日が沈む美しい夕暮れの視覚的瞬間に、時間的永遠を表現するとか、病に冒される身体の痛みの内に社会の閉塞状況を表現するとか、登場人物の素朴な表情の変化にプロットの重大な変化を忍ばせるとか、文学作品に見られる諸々の感性表現―情緒、情動、感覚、瞬間、恍惚、意志、思念、記憶等々―は、言うまでもなく、作品の語りと主題を決定づける重要な要素である。だが、感覚・感性は、必ずしも直接的明示的に言語表現に結びつくとは限らない。「恍惚」と言えば、その言葉の意味はだいたい分かる。しかし、作者が覚知した恍惚は、言語表現を超越した何かであるかも知れない。「におい」もそうだ。私たちはにおいをさまざまな言葉に置き換える。だが、その置き換えの過程で、もともとの嗅覚は多様なねじれを見せる。この「ねじれ」の内に作者はどう自らの表現世界を創造し、また読者は何を読み込んできたか。こうした問題を、中世から現代に至る豊穣な英米文学の作品世界を素材に具体的に検証してみようというのが、本シンポジウムの趣旨である。こうした試みの実践には、感性と言語表現に関する豊かな理解や発想力と共に、一言一句を大切にする丁寧な読みが必要になることから、文学研究のディシプリンについての、一つの具体的な提言にもなると思われる。どうぞご期待下さい!(文責:原田範行)

研究発表の内容

201教室>「ヘミングウェイスタイル:ハードボイルドの裏に隠されているもの」(倉林秀男)

Ernest Hemingway (1899-1961)と言えばハードボイルドスタイルの作家であると称されて久しい。また、ヘミングウェイのスタイルは今日多くの作家たちにたいしても影響を与えている。本発表ではヘミングウェイの文体に焦点を当て、いかにして作品を描き出しているのかについて論じていくものである。具体的には、ヘミングウェイの初期短編小説集であるIn Our Time (1925)に収録されている短編小説の分析を通して、ハードボイルドスタイルと称されているヘミングウェイの文体について再考し、その文体の持つ効果について考察をしていく。特に、彼の描き出す文体の背後に隠されている意図を言語学的手法に基づいて解明していく。考察を通じてヘミングウェイの緻密に組み立てられた文体そのものものは、男らしさや非情さを内包するハードボイルド的なものではなく、むしろ繊細な文体であるということができる。

206教室>「『退場する語り手』:Old Curiosity Shop Master Humphrey's Clock」(川村恵子)

Old Curiosity Shopは、Dickens作品の中でも「失敗作」とされることが多い。ネルに対するDickensの過剰な感情移入などによって、作品のまとまりと語りの自立性が崩れているといわれるのである。しかもこの失敗作の影にはもうひとつの「失敗作」が存在する。当時の読者に不人気であった前作Master Humphrey's Clockの販売部数回復のため、その挿話のひとつを急きょ長編化したのがOld Curiosity Shopであるからだ。このためOld Curiosity Shopの冒頭部分はMaster Humphreyが一人称で語り、その後を突如三人称の語り手が引き継ぐ形式となり、語りの「まとまり」がいっそう崩れることになったとされる。しかしながら実はこうした「失敗」要素は、二つの作品の影響関係を語る上で決定的に重要な意味を持つ。Master Humphrey’s ClockOld Curiosity Shopに飲み込まれたかに見えながら、一方でその「外枠」として存在するという両義性を示す。またその枠のダイナミズムのなかで、語りの「主体」が常にずらされ続けるという興味深い点も指摘できる。本発表ではこれらの語りの分析を通して、その「枠」や「ずらし」が、作家Dickensの「書き手」としての不安とどのように関わっているのかを明らかにしたいと考える。

 
その他注意事項:

*支部入会受付あり。

*次回は9月(日にちは未定、後日連絡)。研究発表希望の方は3ヶ月前までに以下のアドレスまで発表要旨(400字程度)を送付のこと。問い合わせ:末廣幹(msuehiro と @ と isc.senshu-u.ac.jp)

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2007年6月の翻訳ワークショップの内容が、「浅倉久志・小山太一対談 ユーモアを翻訳する」として、文藝春秋のPR誌『本の話』(2007年8月号)に掲載されました!

 

日本英文学会関東支部主催[06]

「学術書翻訳者育成」ワークショップ開催のお知らせ

 

第 9回  6月 2日(土) 14時〜17時  青山学院大学 渋谷キャンパス 1135教室

第10回  6月16日(土) 14時〜17時  同上教室

 

第9・10回 ユーモアを移植する――P・G・ウッドハウスのケース  

講師:小山太一  

ゲスト講師:浅倉久志(第9回)

本ワークショップはこれまで「学術書」の翻訳に限定して活動してきましたが、今回は、次々に練達の小説翻訳を発表されている小山太一氏を講師にお招きして、主に小説翻訳家としての立場から、学術書を含む翻訳一般の問題について講義していただきます。氏の選んだ切り口は「ユーモア」です。

「何をもって「おかしい」とし、何をもって「外した/サムい」とするかは、文化的なコンテクストおよび個々人の志向によってずいぶん異なってくるわけで、ユーモアを売りにする文章の翻訳者は、みずからの好みと、想定された読者の好みを天秤にかけ、なおかつ、原文に忠実であらねばという翻訳者の良心にもさいなまれるという体験をせねばなりません。「こいつはクルしいなあ/笑ってもらえるかなあ」という思いは、常に付いて回ります。まあ、翻訳というのは元来がそうしたクルしさの中から生まれてくるものかも知れず──というのはちょっと言い訳めくし大風呂敷でもあるのですが、まあ、そんなあたりをしゃべって見たいなと思っています。」(講師の言葉)

「研究」に劣らぬほど「翻訳」に重きを置く氏ならではの着眼からの指摘は、フィクション、非フィクションを問わず翻訳実践に関して有益な示唆を与えてくれることでしょう。また、「ユーモア」の翻訳という具体的な焦点を設定することで、とかく抽象的に語られがちな異文化間の交渉・接触の問題が、この上なく魅力的な姿で見えてくることは間違いないと思われます。

 

 

第9回 

講師が現在刊行中のウッドハウス選集の翻訳者の立場から、ウッドハウスおよびユーモア小説の翻訳史を検討する。ユーモアをめぐる日本語と英語の間の微妙な駆け引きを、講師が鋭い言語感覚をもって判定する場面が繰り広げられることになる。また、ユーモア/SF小説翻訳の第一人者である浅倉久志氏が、小山講師の問いかけに応えるかたちで、自らの仕事をあくまでも技術的に回顧する。

扱うテキストは以下の通り。

P. G. Wodehouse, 'The Making of Mac's' Kちゃん」、東健而訳、改造社、世界大衆文学全集 (1929)

P. G. Wodehouse, 'Jeeves Takes Charge', 'Bertie Changes His Mind'「専用心配係」「君子豹変談」、乾信一郎訳、創元社、世界大ロマン全集 (1956)

P. G. Wodehouse, 'Ukridge Starts a Bank Account'「ユークリッジ口座を開く」、浅倉久志訳、EQ19829月号

P. G. Wodehouse, 'Uncle Fred Flits by'「フレッド叔父」、大久保康雄訳、河出書房、世界100物語5 (1997)

 

第10回 

ウッドハウスが「批評」という主題について書いたエッセイの受講者による翻訳文を講師が講評する。同時に講師自身も試訳を作成し、出来上がった翻訳文からは見えにくいとしても、そこにこそ翻訳者の苦楽が詰まっているという工夫について数々の実例を示す。

 

 

課題英文:P. G. Wodehouseのエッセイをまとめた本Wodehouse on Wodehouse (London: Hutchinson, 1980) 収録の'Critics and Criticized' の一部(520-22ページ)。

関東支部HP http://elsj.org/kanto/で閲覧することができます(jpegファイルで3枚です→)。Text 1   Text 2    Text 3

課題翻訳を提出する方は、課題英文を自身で和訳したもの(任意のA4用紙に印字、自筆署名)を、第9回ワークショップの際にご持参ください。

参加費=各回500円 事前登録不要

 

 

【講師紹介】

小山太一 和洋女子大学専任講師 ケント大学Ph.D. 訳書にイアン・マキューアン『アムステルダム』、同『愛の続き』(以上、新潮文庫)、同『贖罪』(新潮社)、ミック・ジャクソン『穴掘り公爵』(新潮クレスト・ブックス)など。「ウッドハウス選集」(文藝春秋)を翻訳刊行中(既刊は第1巻『ジーヴズの事件簿』、第2巻『エムズワース卿の受難録』)。アントニー・ポウエル、イーヴリン・ウォーを中心に英国喜劇小説の研究も進めており、成果の一部はThe Novels of Anthony Powell: A Critical Study (北星堂書店)として刊行されている。

浅倉久志 翻訳家 訳書にフィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、カート・ヴォネガット・ジュニア『タイタンの妖女』(以上、ハヤカワ文庫)、ハーヴェイ・ジェイコブズ『グラックの卵』(国書刊行会)など多数。翻訳をめぐるエッセイ集として『ぼくがカンガルーに出会ったころ』(国書刊行会)がある。

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日本英文学会関東支部 2007年4月例会のお知らせ


4月15日(日) 於東京大学駒場キャンパス18号館

12:45〜15:45 <18号館ホール>

■シンポジウム

「英文学研究のディシプリンとは? ― 研究者となるためにするべきこと」

司会・講師 山内久明(了徳寺大学)

講師 出淵敬子(元日本女子大学)

講師 草光俊雄(放送大学)

講師 楠明子(東京女子大学)

講師 松田隆美(慶應義塾大学)

 

かつて英文学研究といえば、いかに『オックスフォード英語辞典』をしっかりと引いているかが勝負だった時代があった。研究者の優秀さを語るときに、必ず「あいつは英語ができるから」という枕がつくこともあった。今ではむしろ、文献リストに直近3年以内のものがないとバカにされる、といったことを気にする人の方が多いかもしれない。批評理論の流行が変われば、水戸黄門の紋章のようにして使われる批評家の名前もどんどん変わっていく。

しかし、そういう揺れ動くアカデミズムの中を、それでも英文学研究はしぶとく生き延びてきた。英文学というジャンルが、国内外でその領域を越えて活躍する知性を輩出してきたことも間違いない。これはなぜなのか。英文学的インテリジェンスの最低ラインを保証するのはいったい何なのか。時代を超えて通用するような、「英文学的スピリット」などあるのだろうか。もしそういうものがあるとしたら、それはいったいどうすれば身につけることができるのか。

今回のシンポジウムでは、英文学もしくはその関連領域の研究者として活躍されてきた先生方に、英文学研究のディシプリンとは何か、という問題についてそれぞれの経験を元に、具体的に語っていただく。抽象的な結論に飛びつくよりも、現在英文学研究を志そうとしている若い方々にも参考になるような、具体的な、そして場合によっては批判的な問題提起がなされる予定である。

(文責:阿部公彦)

15:50〜16:20 <18号館ホール>

■支部組織整備についてのお知らせ ― 選挙、支部統合号発刊など

16:30〜17:20

■研究発表

@<18号館ホール>

小山太一(和洋女子大) ディスカッサント:斉藤綾子(明治学院大学)

「神経衰弱ぎりぎりの女たち──ジョージ・キューカーのコメディ映画における女性表象」

米国の映画監督 George Cukor (1899-1983) は、パラマウント-RKO-MGM-コロンビアとハリウッドの大スタジオを渡り歩き、ハリウッドのスタジオ・システムの興隆と衰退をつぶさに見守りつつその屋台骨を支え続けた職人監督の一人である。舞台演出家の出身である彼は、俳優なかんずく女優の個性を引き出し輝かせる演技指導によって、'women's director' という異名を取った。が、実のところ、キューカー映画における女性表象の特徴は、それらの映画がフェミニニティを人工的・社会的な構築物と捉え、それが崩壊せんとする危機的な瞬間を軸に構成されていることにある。また、キューカーは映画という媒体の人工性を知り尽くし、それを余すところなく活用した映像作家でもあった。本発表は、キューカーがもっとも得意としたトラジコメディの作品をテーマと映像の二面から検討し、キューカー本人は嫌っていたといわれる 'women's director'のイメージを新たな角度から見つめなおすことを目的とする。

 

A<18号館4階コラボレーション・ルーム1>

菅野素子(早大・院) ディスカッサント:佐藤元状(慶應大)

「記憶への引きこもり ― カズオ・イシグロ『私たちが孤児だったころ』を中心に」

カズオ・イシグロがこれまでに発表した作品は、そのほとんどが時代の変わり目や変化を示す事件を背景としている。こうした歴史形成のイデオロギーが揺れ動く時期にあって、イシグロの語り手たちには、いわゆる歴史から取り残され、あるいは半ば意識的に取り残されようとするために、自己の世界に引きこもっていく者が多い。大きな変化を経験した後に内向しがちな語り手の心情をイシグロは「自己調整」と呼んでいるのだが、そのように描かれる歴史と個人との記憶のずれは、文化的マイノリティ作家による過去の読み直しと書換えでは説明のつかない問題をはらんでいるのではないだろうか。このような語り手の姿勢が問題となるのは、これが世界からの一種の退行現象であると考えられるためである。今回の発表では、主に『私たちが孤児だったころ(When We Were Orphans, 2000)』を取り上げ、語り手クリストファー・バンクスの思い描く両親の救出劇とその挫折のプロットを追うことにより、歴史と記憶をめぐるイシグロの問題意識を明らかにしたい。

17:30〜18:20

■研究発表

<18号館ホール>

Nathalie Vanfasse (Universite de Provence, France) 司会:丹治愛(東京大)

'"A large connection in the fancy goods way": Business in Charles Dickens's Uncommercial Traveller (1860)

In 1861, at a time when the Victorians were highly involved in business, trade and moneymaking, Dickens paradoxically or maybe provocatively praised 'uncommercial travelling'. How did he define this un-businesslike activity and why did he feel the need to extol it? His Uncommercial Traveller did at any rate enable him to earn a living as a writer, thus entering the 'cash-nexus' in spite of its content, which leads us to wonder how such idle considerations could interest business-minded Victorian readers. From 'Arcadian London' in summer, to Mormon emigrants, old pensioners in an alms-house, churches, graveyards and old stage coaching houses, this paper will first analyse what Dickens meant by the 'general line of business' of uncommercial travelling. It will then study the reasons for his interest in this non-profit-making activity, before measuring the impact of these articles on Victorian readers.

 

*支部入会受付あり。

*次回例会は7月29日。研究発表希望の方は3ヶ月前までに以下のアドレスまで発表要旨(400字程度)を送付のこと。

問い合わせ:末廣幹(msuehiro と @ と isc.senshu-u.ac.jp)

発表要旨等は関東支部HP参照:http://www.elsj.org/kanto/

懇親会:渋谷「花のれん」(03−3464−9366)7:00〜 http://r.gnavi.co.jp/g002200/


 

◇英語教育・学習研究会第4回例会 <18号館ホール>◇

10:00〜10:15 事務連絡

10:15〜10:45 研究発表「英語学習動機づけにおける文学利用の可能性」 石塚美佳(東京工科大学)

10:45〜12:00 ワークショップ「マルチメディア時代の英語教育の可能性−制作と授業実践」

講師:大石和欣(放送大学准教授)、大橋理枝(放送大学准教授)

問合せ:北和丈(kita と @ と stu.shumei-u.ac.jp)

http://www.elsj.org/gakushu/

 

 

日本英文学会関東支部第二回例会のお知らせ


2007年1月13日(土)、青山学院大学渋谷キャンパス 

 

 

第1室【総研ビル(11階)第19会議室】

(1)

10001015 事務連絡

10151045 研究発表 深谷素子(成蹊大学)「文学教材を使ってはみたけれど―よりよい活用法開拓のために失敗例から学ぶ」

10451200 斎藤兆史(東京大学)「英語教師のための英語力増強講座−第1回 理念・発音矯正」

問合せ:北和丈 

047-488-2111 内線207 kitaアットマークstu.shumei-u.ac.jp

http://www.elsj.org/gakushu/

 (2)12時〜13時 研究発表 島原知大(早稲田大学助手)「『月』の果たす機能――オスカー・ワイルド『サロメ』考」

ディスカッサント:末廣幹(専修大学教授)


第2室【11号館2階1123教室】

(1)12時〜13時 研究発表 木谷厳(筑波大学大学院)「感性という陥穽――P. B. シェリーのセンシビリティとトロープの暴力性について」 

ディスカッサント:小川公代(上智大学専任講師)

(2)1300分〜1310分 支部会事務局からの連絡(入会の呼びかけなど)

(3)1310分〜1410分 特別講演 Nicholas RoeProfessor of English Literature, the University of St Andrews) ‘Leigh Hunt, Charles Lamb, and Virginia Woolf’

司会:大石 和欣(放送大学助教授)

(4)1420分〜1520分 研究発表 森松健介(成蹊大学非常勤講師)「詩人ハーディを再読する――Widdowson およびEagletonの詩論に照らして」

ディスカッサント:笹川浩(中央大学教授)

(5)1530分〜18時 シンポジウム「ふたたび問う、文学と歴史――実践の現場から」

司会:遠藤不比人(首都大学東京助教授)

講師:鈴木英明(山脇学園短期大学助教授)、武田将明(法政大学専任講師)、田中裕介(成城大学非常勤講師)

 

問い合わせ先:末廣幹(msuehiroアットマークisc.senshu-u.ac.jp


 「「月」の果たす機能――オスカー・ワイルド『サロメ』考」

島原知大(早稲田大学助手)

 オスカー・ワイルドの『サロメ』は、紆余曲折を経て18932月にフランス語版が、その翌年に英語版が出版されたが、その執筆時期はフランス語版出版から一年以上遡る189110月下旬から92年の1月上旬にかけてであり、この短期間での執筆の第一の目的は上演することであった。結果的に上演はイギリス政府によって禁じられたものの、禁止が確定するまで、他の劇作品の場合と同様にワイルドは積極的に『サロメ』の演出に関わっている。結局ワイルドが自ら『サロメ』を演出することはなかったが、演出の際に重要な役割を果たすことになったかもしれない幾つかの装置はテクストの中に明確に現れている。本発表では、その中でも特に「月」の存在に着目してテクストを分析し、それを手掛かりとしてワイルドの創造物であるサロメの性格を考察したい。

テクストは英語版を使用する。

 

「感性という陥穽――P. B. シェリーのセンシビリティとトロープの暴力性について」

木谷厳(筑波大学大学院博士課程)

P. B. シェリーの詩 “The Sensitive Plant” (1820) の結論部は、かつてエスセティックな精読の試金石でもあった。その代表的なもののひとつは、この詩の後半において、庭園の世話をする女性 “Lady” が息絶えた結果、オジギソウや他の草花も枯れ果て、庭園全体が荒廃してしまうものの、それは見せかけにすぎず、女性やオジギソウの本質となる美的なものは人間の感覚器官を超越して存在し続けるのだ、と語る話者の言葉をもとに詩を解釈する、形而上学的な読解である。

もちろん、ここ二十年あまりの研究動向に応じて、この詩の読解は、M.オニールのそれをはじめ、より複雑化している。こうした先行研究を踏まえ、この詩の女性とオジギソウの関係に着目し、それに対応する後年の詩 “The Magnetic Lady to Her Patient” (1822) における女性と患者の関係と比較しつつ、そこにある共感作用に基づいた特異なセンシビリティ――心理/生理学的という点で二重の意味を持つ感受性――について論じる。この際、オジギソウの詩をインター・テクスチュアル (あるいはインター・ディスコーシヴ) に読むことを試みると同時に、永遠性をめぐる形而上学的な主題よりも、むしろその対極にあるといえる荒廃にまつわるトロープの作用を分析する。シェリーと詩的言語の問題という側面にも意識を払いながら、この詩を読む上での新たな可能性を見出したい。

 

 

‘Leigh Hunt, Charles Lamb, and Virginia Woolf’

Nicholas RoeProfessor of English Literature, the University of St Andrews

Leigh Hunt’s years in Italy after Shelley’s death, and how some of his writing then influenced Virginia Woolf’s modernist manner in novels like To the Lighthouse and Mrs Dalloway

 

「詩人ハーディを再読する――Widdowson およびEagletonの詩論に照らして」

森松健介(成蹊大学非常勤講師)

Widdowson On Thomas Hardy: Late Essays and Earlier(1998)はよく知られた革新的Hardy 論です。Eagletonの新著How to Read a Poem (2007)は、既に2006年秋、洋書店で平積みにされていました。これは著者自身が“an introduction to poetry for students and general readers”と述べている基礎的な入門書(またHardyについてはちらりと触れているだけ)ではありますが、英文学専攻の私たちにも知識や考え方のお浚いをさせてくれます。また、ともに“politically- minded literary theorists”であるWiddowson Eagletonは「詩におけるリベラリズム」「詩のモラル」「詩の虚構性」等の主張を通じて、英語や英文学の授業の一環として英詩を用いる者に新鮮な示唆を与えてくれます。この観点からHardyの有名ではない秀作(The Statue of Liberty, 詩番号382;  Unkept Good Fridays,826;  So Various, 855など約15)を読み直してみようと思います。

 

シンポジウム「ふたたび問う、文学と歴史――実践の現場から」概要

英文学研究の歴史学化――いま支配的な研究態度をこう呼んでおこう。テクストの「歴史化」が必須の手続きであり、それを通過せぬ読解は「非歴史的」と評価される。この「歴史化」という作業は、往々にしてテクストを生産した政治的/文化的文脈を解釈の前提として構築することを意味する。これにより、たとえば、文学作品に「普遍的人間像」をひたすらに読み込む(或る時期まで存在した)非歴史的研究はほぼ絶滅し、この「普遍的人間像」なる観念を生産した地域/階級/ジェンダー限定的な政治的文脈それ自体が研究=歴史化の対象となって久しい。これは歓迎すべきことである。一方、この「歴史化」によりテクストの解釈が(その前提として構築された)コンテクストに回収されるばかりか、その結果、テクストの「歴史化できぬ過剰」――あるいはsingularity――と呼ぶべきものを問題にすることは、昨今、抑圧/タブー化(すら)される場合がある。歴史化できぬものを語ること――歴史的文脈から逸脱する「過剰」を語ること――には「非歴史的」なる致命的非難を受ける危険がつねに伴う。たとえば、ラカン派精神分析ならこの忌避を「実証主義的強迫神経症」と呼ぶだろう(「すべてを歴史化しなくては気がすまない!」)。ここで思い起こせば『政治的無意識』のあの宣言――「つねに歴史化せよ!」――は、ラカン化された弁証法の視点から、テクストをして語らせながらもテクストそれ自体には語り得ぬ「否定性 negativity」を「歴史」と措定していた。この種の(「古典」とでも称すべき)批評性がほとんど忘却 (抑圧?) されつつ進行する英文学の歴史学化=実証主義化(あるいは「ポスト理論」としての 「歴史」 といった歴史意識)。あえて現状をこのように見做すことにより、歴史主義的文学研究の功罪――その可能性と限界――をいまこそ問いたい。不毛な――「理論」か「歴史」か?式の――議論を避けるために、講師たちが実践的かつ理論的な見地から語る。歴史主義が豊かな研究成果を上げたいまこそ、以上のような問いを投げかける絶好の時期ではないだろうか? (文責:遠藤)

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日本英文学会関東支部英語教育・学習研究会例会

日時:10月28日(土)11:00〜12:30

場所:専修大学神田キャンパス301室

内容:シンポジウム「こんな英語教材があったらいい──現場からの声」

司会・講師:久世恭子(東京大学大学院)

講師:安原章(立教池袋中学・高校) / 山口孝一郎(東京大学大学院)

問合せ:北和丈 047-488-2111 内線207

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日本英文学会関東支部第一回例会のお知らせ

英文学会関東支部第1回例会が、以下のように開催されます。ふるってご参加ください。

10月28日(土) 専修大学神田キャンパス

当日使用する教室はすべて1号館です。1号館の入り口はB1Fになります。会場の案内図はこちらをどうぞ 。
 

○研究発表第1室 301室 13:00〜16:00

鈴木聡(東京外大)「スクリーンが映したテクスト――ヴラジーミル・ナボコフの『ロリータ――脚本』をめぐって」

ディスカッサント・後藤和彦(立教大)

初期の作品(『キング、クィーンそしてジャック』や『暗箱』[英語版『暗闇のなかの笑い』など]からも読み取れるように、ヴラジーミル・ナボコフは、その生涯をつうじ、映画の魅力に心惹かれ、映像表現によって編み出された種々の方法の応用によって言語藝術の可能性を広げる実験的試みに意欲を示してきた。その彼が、アメリカ移住後、最大の成功作となった『ロリータ』の脚本化を依頼されためぐり合わせは、両分野を相互に活性化し、新たな地平を拓く好機であったと見なせるかもしれない。しかし、彼が心血を注いで完成させた長大な脚本は、監督であるスタンリー・クーブリックによって抜本的に短縮され、改稿されることとなった。そのいっぽう、クーブリックが原‐脚本を受け継ぎ、換骨奪胎している点がいくつか認められる点も看過できない。両者の比較をつうじて、ふたつの藝術ジャンルを代表するふたりの天才のあいだで演じられた葛藤の実相を明らかにするとともに、さらには、ナボコフの脚本自体が原作の一解釈、一変奏として成立していることも示し得るものと思われる。

山本直子(津田塾大非常勤講師)「イギリス人が見た20世紀初頭のアジア植民地――Leonard Woolf、E. M. Forster、George Orwell」

ディスカッサント・木下誠(東京成徳大)

20世紀初頭、Leonard Woolf、E. M. Forster、George Orwellという3人の作家はそれぞれセイロン、インド、ビルマというアジアの植民地に行き、大英帝国の植民地支配の実態を目の当たりした。本発表では、Leonard WoolfのThe Village in the Jungle (1913)、E. M. ForsterのA Passage to India (1924)、George OrwellのBurmese Days (1934)という作品を中心に3人の作家を比較し、20世紀初頭のイギリス文学においてアジアがどのように表象されてきたかを、オリエンタリズム、人種、社会ダーウィン主義といった観点から検証すると共に、帝国主義と反帝国主義の狭間で揺れ動いていたイギリス人作家の心理的葛藤に迫ってみたい。

茂市順子(明治大)「戦間期のユートピア/ディストピア――オーウェル、H. L. サミュエル、ロビン・モーム」

ディスカッサント・川端康雄(日本女子大)

「次の作品は小説の形式で書かれたユートピアになると思います」――1947年、知人宛の手紙のなかでジョージ・オーウェルはこのように書いている。その2年後、オーウェルの最後の作品となった『一九八四年』が出版された。 イギリス文学史上、長い歴史をもつユートピア文学というジャンルは、20世紀に入り新たな局面を迎えた。それはディストピア小説というサブ・ジャンルの隆盛である。理想の共同体の在り方を追求することよりも、現状に対する強い危機感から悪夢的な未来を描き、同時代に生きる人々に警鐘を鳴らす文学作品が多く登場するようになる。いうまでもなく『一九八四年』は今ではディストピア文学の代表作とみなされているが、手紙のなかで敢えて「ユートピア」という言葉を用いているところに、ユートピア文学とその思想の歴史についての当時のオーウェルの見解がこめられている。
 さて、オーウェルはこの作品を構想する以前に、H.L.サミュエルのAn UnknownLand(1942)とロビン・モームのThe 1946 MS(1943) について興味深い書評を残している。前者は楽観的なユートピア小説、後者は悲観的なディストピア小説となるが、今ではマイナーな作品として読まれることの少ない2つの小説がオーウェルの創作に少なからぬ影響を及ぼしていたであろうことを論じてみたい。さらに、これら3つの作品の類似性が戦間期のイギリス社会に対する内的批評としていかなる言説となり得たのか考えてみたい。 

研究発表第2室 206教室 14:00〜16:00

Stephen Clark(Tokyo Uinversity), 'After the Bubble: Contemporary Representations of Tokyo'

ディスカッサント・ David Taylor (Tokyo Medical and Dental University)


伊澤高志(東京都立大大学院)「沈みゆく帝国、興りゆく帝国――ジョン・ドライデンの『グラナダ征服』と王政復古期イングランドの国際関係」

ディスカッサント・小野功生(フェリス女学院大)

王政復古期のイングランド演劇界において一世を風靡し、同時にその大仰さのゆえに多くの批判とパロディを生み出した英雄劇というジャンルの代表作であるドライデンの『グラナダ征服』二部作(The Conquest of Granada 第一部1670年、第二部1671年初演)は、スペイン人によるイベリア半島再征服の最終局面である1492年のグラナダ王国陥落の顛末を描いた作品である。しかし、そこで描かれるのはムーア人対スペイン人という対立図式だけではない。グラナダ王国内部は、ふたつの派閥による勢力争いや、王位簒奪の陰謀、美女をめぐる権謀術数などが絡まりあった内乱状態にもあり、さまざまな対立図式が変化しながら物語は進んでいく。そこで本発表では、この作品で描かれる対外的な戦争と内乱というふたつの側面が1670年代初頭のイングランドの政治状況と国際関係のなかでどのような意味を持ちうるのかを、近年の帝国史研究の成果なども参照しながら考察したい。

パネルディスカッション「齋藤一『帝国日本の英文学』をめぐって」

301室 16:00〜18:00

司会:本橋哲也(東京経済大)

講師:江利川春雄(和歌山大)

   丸川哲史(明治大)

   齋藤一(筑波大)

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日本英文学会関東支部主催

「学術書翻訳者育成」ワークショップ開催のお知らせ

 

第7回 2月 17日(土) 14時〜17時  法政大学 市ヶ谷キャンパス 58年館860教室

第8回 3月 16日(金) 14時〜17時  青山学院大学 渋谷キャンパス 1170教室

第7・8 Untranslatable lightness of density―濃密さの翻訳不可能な軽さ  

主任講師:清水知子

あらゆる翻訳は<文化>の翻訳を必然的に含む。第7・8回の本ワークショップでは、現在、英語圏文化研究の最前線で活動を行っている講師たちが、異なる文化、異なる思考、異なる政治、異なる価値観を翻訳する営為にともなう困難と不可能性、面白さと創造性について、主にポール・ギルロイの著作を題材に、濃密にして軽快な議論を展開する。

第7回 <文化>を翻訳すること  神林豊・小林浩(以上、月曜社編集者)+毛利嘉孝・鈴木慎一郎・清水知子

1部 月曜社という翻訳プロジェクト

月曜社は、インディペンデントの小出版社ながら、GC・スピヴァク『ポストコロニアル理性批判』(上村忠男・本橋哲也訳、2003)、サミュエル・ウェーバー『破壊と拡散』(野内聡訳、2005)など、文化研究やポスト植民地研究の分野で積極的な学術書刊行をつづけ、出版業界で注目を集めつつある。その編集者二人を迎えて、訳書刊行までの実務の過程をうかがうとともに、<文化>の翻訳はいかになされるべきかについて議論する。

第2部 『ブラック・アトランティック』への/からの航海

2006年刊行の翻訳思想書のなかでもひときわ注目を浴びたポール・ギルロイ『ブラック・アトランティック』の翻訳について、編集者と翻訳者が、それぞれの作業に伴った苦楽を語る。編集者が月曜社独自の翻訳チェック体制を明かす一方で、翻訳者は、翻訳という精読を行ったものだけが知るギルロイの英語に仕掛けられたたくらみを論じる。

第8回 「ギルロう」―翻訳の軽やかな濃密さについて 小笠原博毅・鈴木慎一郎・清水知子

ギルロイの著作は、ポップ・カルチャー、文学、思想、歴史、音楽などさまざまな領域が交響しあう文化の場である。彼の英語が難解と言われるのはなぜか、そもそもなぜこうしたスタイルを選んで/になっているのだろうか。ギルロイの文体こそが、<文化>を語るときに欠かせないひとつのオルタナティヴな方法なのかもしれない。課題箇所をはじめ、「普通の」英語の知識だけでは理解が難しい彼のテクストにひそむ数々の秘密を、受講者の皆さんと探偵のごとく読み解きながら、翻訳の面白さ=難解さについて考える。「ギルロイ」を文字テクストのみの世界から解放し、映像あり、音楽ありの空間のなかで、文化と翻訳の世界を縦横無尽に語りながら、とことん「ギルロってみよう」!(課題翻訳を提出していない方の参加も歓迎します)

課題英文:Paul Gilroy, After Empire(Routledge, 2004)Postcolonial Melancholia(Columbia University Press, 2005) Cosmopolitanism and the Planetary Mentalityのセクション全体 [After Empireではp76-79, Postcolonial Melancholiaではp69-71] 

課題英文(Postcolonial Melancholia)はこちらをどうぞ(PDFファイルになっています)→ Gilroy 1  Gilroy 2

課題翻訳を提出する方は、課題英文を自身で和訳したもの(任意のA4用紙に印字、自筆署名)を、第7回ワークショップの際にご持参ください。

参加費=各回500円(参加費収入は、会場費・講師旅費の実費に充てる 事前登録不要

 

【講師紹介】

清水知子 筑波大学講師. 専門は英文学・文化研究. 訳書に,ノーム・チョムスキー『知識人の責任』(青弓社,2006,スラヴォイ・ジジェク/グリン・デイリー『ジジェク自身によるジジェク』(河出書房新社,2005,デイヴィッド・ライアン『9・11以後の監視』(明石書店,2004,スラヴォイ・ジジェク『全体主義』(青土社,2002)など.

小笠原博毅 神戸大学助教授.専門は社会学・文化研究(スポーツ・メディア).共著に,『サッカーの詩学と政治学』(人文書院,2005)など,訳書に,ジェームス・プロクター『スチュアート・ホール』(青土社,2006)など.

鈴木慎一郎 信州大学助教授. 専門は文化人類学・カリブ海文化論.主著に『レゲエ・トレイン―ディアスポラの響き』(青土社,2000.

毛利嘉孝 東京藝術大学助教授. 専門は文化研究・社会学.主著に,『文化=政治―グローバリゼーション時代の空間の叛乱』(月曜社,2003.訳書に,ジェイムズ・クリフォード『ルーツ』(月曜社,2002,ジャウデン・サルダー『INTRODUCING カルチュラル・スタディーズ』(作品社,2002)など.

問い合わせ  田中裕介 (メールアドレスはytanakaのあとに@yf7.so-net.ne.jpをつけてください)

 

第5回 12月 2日(土) 14時〜17時  青山学院大学 14603教室

第6回 12月16日(土) 12時〜15時    同上大学   621教室

 主任講師・上野直子

12月のワークショップの翻訳者セッションで大事にしたいのは、「具体例」と「双方向」です。翻訳作業のなかでぶつかる具体的な問題を少し挙げれば、たとえば語句のレベルですと、概念語をどこまで平易に説明的に訳すのか、同じ単語はひとつの文章中では同一の日本語に訳すべきか。またたとえば文章のレベルでは、長い英文の処理をどうするのか。絶対に切らないのが技と誠意なのか、場合によっては文章をわけることも必要なのかなど。悩ましいことは、他にもまだたくさんあります。実際の訳文に即しながら、検討していきましょう。受講者のみなさんとのやりとりも大事にしたいと思います。どうぞ臆せずに質問をぶつけてください。やりとりのなかで、理解が深まり、翻訳技術がアップする糸口がみえてくれば、と願っております。>

第5回

第1部「翻訳学術書編集のストラテジー」 天野泰明(岩波書店編集者)×津田新吾(青土社編集者) 司会 上野

「ポストモダン・ブックス」「<1冊でわかる>シリーズ」の担当者である天野と、「シリーズ<現代思想ガイドブック>」の担当者である津田が、翻訳学術書の企画から出版にいたるまでの舞台裏を語る。学術・思想の入門書をシリーズとして翻訳することの意義から、入門書だからこそクローズ・アップされる編集者と翻訳者の仕事の分担をめぐる駆け引きまで、話題は縦横に展開する。

第2部「翻訳=商品へのアプローチ 前篇」 上野直子、越智博美、鈴木慎一郎、金井嘉彦+天野、津田

それぞれの講師が、自身の最新の(あるいは現在進行中の)訳業のなかからフレッシュな「悩ましい事例」を提供して、編集者とともに検討するシビアな検品作業の現場を公開する。ポール・ギルロイ『ブラック・アトランティック』(月曜社、2006)、レイモンド・ウィリアムズ『完訳 キーワード辞典』(平凡社、2002)、Caryl  Phillips, A New World Order(明石書店より『新しい世界のかたち』として刊行予定)フレドリック・ジェイムソン『ポストモダニズム』を主に扱う。

第6回

「翻訳=商品へのアプローチ 後篇」 上野、越智、鈴木+天野 、(思想系若手編集者、交渉中)

講師(翻訳者)と編集者が、受講者の課題翻訳文を匿名形式で検討し、提出された質問について意見を交わす。その過程で、翻訳者ひとりでは扱いかねる問題の処理法、編集者との共同作業の進め方なども話題になるだろう。

参加費無料 聴講自由 課題翻訳を提出する参加者のみ登録が必要

課題翻訳提出希望者は、以下の課題英文を自身で和訳したもの(任意のA4用紙に印字、自筆署名)を、第5回ワークショップの際にご持参ください。記入済みの登録用紙(当日配布、すでに提出した方は不要)も併せて提出していただきます。

課題英文(@かA、どちらかの提出でも構いません。)

@Caril Phillips, A New World Order (New York: Vintage, 2002)所収“Introduction: Dispatches from Africa”の以下の2箇所。p9016行目(Native Stranger〜)からp91詩の引用の終わりまで。p926行目からこのエッセイの最後まで。

テキスト(PDFファイル)はこちらにあります。[1], [2], [3]

ABill Ashcroft, Greath Griffiths, Helen Tiffin, The Empire Writes Back London: Routledge, 1989)(使用エディションは自由)p46中ほどFor the writer workingではじまるパラグラフからp4717行目まで。このテキストに関しては、既訳(『ポストコロニアルの文学』、青土社、8687頁)と原文を比べて、工夫が感じられる点、疑問点を箇条書きにしたものを併せてご提出ください。

テキスト(PDFファイル)はこちらにあります。[4]

提出された登録用紙、課題翻訳文の内容は厳秘いたします。

問い合わせ  田中裕介 (メールアドレスはytanakaのあとに@yf7.so-net.ne.jpをつけてください)

 

第3回 10月 7日(土)14時〜17時 青山学院大学621教室

第4回 10月14日(土)14時〜17時 同上教室

講師・本橋哲也 第3回「カルチュラル・スタディーズ対訳教科書を編集する 理論篇」

講師が主に自身の既刊翻訳からバーバ、スピヴァク、バトラーの訳文を検討する。その作業を通して、理論の英語を日本語に移す際の難点を参加者に明示し、その解決法をともに考える。

講師・同上   第4回「カルチュラル・スタディーズ対訳教科書を編集する 実践篇」

本橋講師が参加者の提出した課題翻訳文(下記参照)を匿名形式で講評しつつ、月曜社から出版予定の日本語版『カルチュラル・スタディーズ・リーダー』の翻訳チーム結成の準備を行う。

参加費無料 聴講自由 課題翻訳を提出する参加者のみ登録が必要

課題翻訳提出希望者は、10月の課題英文を自身で和訳したもの(任意のA4用紙に印字、自筆署名)を、第3回ワークショップの際にご持参ください。記入済みの登録用紙(当日配布、すでに提出した方は不要)も併せて提出していただきます。

 

課題として翻訳する英文は、以下の12論文(すべて冒頭部分)からひとつを任意にお選びください。

*いずれの論文も使用する版は自由ですが、もっとも入手しやすい刊本を略号を用いて併記してあります。略号の後にはそのページ数と、終わりの行数を記しました。

1) Stuart Hall: “Minimal Selves” <S: 134> p.134の下から3行目まで。

2) Gayatri Chakravorty Spivak and Sneja Gunew,“Questions of Multiculturalism” <C1: 194-5> p.195の上から11行目まで。

3) Chantal Mouffe, “Feminism, Citizenship, and Radical Democratic Politics” <F: 369-70> p.370の上から11行目まで。

4) Andrew Ross, “The Popularity of Pornography” <C1: 222> p.222の下から9行目まで。

5) Timothy Brennan, “The National Longing for Form” <P: 170-1> p.171の6行目まで。

6) Anne McClintock, “The White Family of Man” <I: 232-3> p.233の下から15行目まで。

7) Paul Carter, “Spatial History; Naming Place” <P: 375> p.375の下から5行目まで。

8) Alfred W. Crosby, “Ecological Imperialism” <P: 418> p.418のいちばん下まで。

9) Dick Hebdige, “The Function of Subculture” <C2: 442> p.442の下から4行目まで。

10) Janice A. Radway, “The Institutional Matrix of Romance” <C2: 564-5> p.565の上から23行目まで。

11) Donna Haraway, “The Promises of Monsters: A Regenerative Politics for Inappropriate/d Others” <CS: 295-6> p.296の上から5行目まで。

12) Gauri Viswanathan, “The Beginnings of English Literary Study in British India” <P: 431-2> p.432の上から2行目まで。

 

略号一覧

S=Studying Culture, ed. Ann Gray and Jim McGuigan (Arnold, 1993)

C1=The Cultural Studies Reader, 1st edition, ed. Simon During (Routledge, 1993)

F=Feminists Theorize the Political, ed. Judith Butler and Joan W. Scott (Routledge, 1992)

P=The Post-Colonial Studies Reader, ed. Bill Ashcroft, Gareth Griffiths and Helen Tiffin (Routledge, 1995)

I=Imperial Leather, Ann McClintock (Routledge, 1995)

C2=The Cultural Studies Reader, 2nd edition, ed. Simon During (Routledge, 1999)

CS=Cultural Studies, ed. Lawrence Grossberg, Cary Nelson and Paula Treichler (Routledge, 1992)

 

提出された登録用紙、課題翻訳文の内容は厳秘いたします。           

問い合わせ 田中裕介

 

第1回 8月11日(金)14時〜17時 青山学院大学1134教室

第2回 8月18日(金)14時〜17時 同上教室

講師・富山太佳夫 第1回「<文化>としての学術書翻訳」 

スーザン・ソンタグ、ジョナサン・カラー、ポール・ド・マンの翻訳者として知られるだけでなく、他人の訳稿を直して四半世紀の経歴を誇る講師が、批評書翻訳に費やした工夫を惜しみなく教授する。さらに「ポストモダン・ブックス」「<1冊でわかる>シリーズ」といった翻訳企画の裏話にまで講義は及び、「学術書翻訳」がそれ自体ひとつの「文化」でありうる可能性を示唆する。

 講師・同上    第2回「<精読>としての学術書翻訳」

富山講師がワークショップ参加者の提出した課題翻訳文(下記参照)を匿名形式で講評する。いかにして精確な英語読解を日本語の訳文に反映させるのかに関わる技術批評を中心とする。加えて、翻訳という「精読」に内在する、複数の訳文の生じる可能性がもたらす楽しさと、それをひとつに絞り込む厳しさの例示を通じて、<思想>を読むことの意味を考察する。

参加費無料 聴講自由 課題翻訳文を提出する参加者のみ登録が必要

登録希望者は、@記入済みの登録用紙(当日配布)、A月の課題英文(Edward W. Said, OrientalismIntroductionの冒頭3パラグラフ)を自身で和訳したもの(任意のA4用紙に印字、自筆署名)の2点を、第1回ワークショップの際にご提出ください。

課題英文はここから閲覧できます(PDFファイル〔←こちらを使用します〕/htmlファイル〔←参考資料〕)。

問い合わせ 田中裕介

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日本英文学会関東支部第1回大会および

関東支部英語教育・学習研究会発会式のお知らせ

7月29日(土) 東京大学駒場キャンパス18号館ホール


英語教育・学習研究会発会式 11:00〜12:30


開会の辞 斎藤兆史(東京大学)
挨拶 富山太佳夫(青山学院大学)
研究発表 高橋和子(東京大学大学院)「英語教育に向いた文学教材」
           司会 北和丈(秀明大学)
問い合わせ先 北和丈

関東支部第1回大会 13:00〜18:00

支部長挨拶 富山太佳夫(青山学院大学)
総会 

シンポジウム「いま、語り(ナラティヴ)の面白さを発掘する」13:15〜16:45
講師:池上恵子(大東文化大学)、末廣幹(専修大学)、海老根宏(東洋大学)、松本朗(上智大学)、佐藤光重(関東学院大学)、中村雄祐(東京大学)
ディスカッサント:高橋勇(慶応義塾大学)
司会・講師 原田範行(杏林大学)

研究発表 17:00〜18:00

第1室 18号館ホール
斉藤佳代子(早稲田大学大学院)「Doris Lessing, The Memoir of a Survivorにみる生成過程としての個人」 (発表要旨配付資料
ディスカッサント 中井亜佐子(一橋大学)

第2室 18号館4階コラボレーションルーム1
田代尚路(東京大学大学院)「ホプキンズの詩はどのように短いのか?――"Inscape"の詩学についての一考察
ディスカッサント 松村伸一(
青山学院女子短期大学) 

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■個別研究会・ワークショップのお知らせ■

※日本英文学会関東支部主催ではない研究会やワークショップのお知らせです。

--ヴィクトリア朝研究会 例会のお知らせ--

「ヴィクトリア朝研究会」は、英国ヴィクトリア朝時代の文学・文化研究に関心を持つ人々が、自身の研究内容や関心事項を交換し、また最近の研究動向を紹介しあう場となっています。これまでのところ年に二度(三月と九月)の割合で例会を設け、若手研究者や大学院生が全国から集っています。

「研究発表」は、各自の最近の研究の経過報告を発表しあいますが、完成された論考の発表というよりは、それに先立つ経過報告や建設的なフィードバックの収集を主目的としています。また「文献解題」としまして、最近数年内に出版された関連書の文献の紹介・書評をし、最新の情報を共有する場を設けています。また、近年では「課
題図書の輪読」により、独習では読み損ねがちな図書に触れ、それぞれの立場から読み方を提示しあう機会を設けるようになりました。

次回のプログラムは下記の通りです。ご関心のあります方は、どうぞお気軽にご参加下さいますようお願い致します。

主宰: 成蹊大学 村山敏勝

連絡先:中央大学 宮丸裕二

――ヴィクトリア朝研究会 第19・20回例会――

日時: 9月2日(土)・9月3日(日) 両日とも午後1時より

場所: 成蹊大学 10号館2階中会議室

プログラム

9月2日(土)

(文献解題)村山敏勝 「Catherine Gallagher, The Body Economic (Princeton UP, 2006)」

(研究発表)田中裕介 「cultureの語用変遷試論―1850-1920の『タイムズ』を中心に」

(研究発表)三宅敦子 「Hard Timesとヘンリー・コールーー「よい趣味」への抵
抗」
 

9月3日(日)

(研究発表)玉井史絵 「Martin J. Wiener, Men of Blood: Violence, Manliness, and Criminal Justice in Victorian England (Cambridge UP, 2004)」

(輪読)課題図書 George Moore, Ave (Hail and Farewell、第1巻)、(案内人: 吉田朱美)

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ポストコロニアル研究会」例会(7月22日)のお知らせ

場所白百合女子大学2号館地下1階2007教室(正面玄関を入って最寄の階段を降り、左手奥へ。比較的大きな教室です)
日時:7月22日(土)14時〜18時頃まで

発表者、テーマ:中井亜佐子「V.S.ナイポールBeyond Beliefについて(仮)」

(中井氏による発表紹介) 主要テクストはV.S.ナイポール『イスラム再訪』(岩波書店) (V. S. Naipaul, Beyond Belief, 1998)です。一時間ほど話させていただく予定ですが、最初の20分ほどでナイポールという作家の概要をご説明することになると思います。そのあとは、研究会の性質上、なるべくテクストに寄り添った形で議論なり問題提起をさせていただきたいと思っています。

コメンテーター:上野直子、齋藤一

問い合わせ先外山健二

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