2025年11月22日
会員著書案内| 著者名 | 署名 | 出版社 | 出版年 |
|---|---|---|---|
| 上原早苗 | 『大衆検閲の時代――ヴィクトリア朝の道徳主義とハーディ』 | 名古屋大学出版会 | 2025年 |
【梗概】
17世紀末のイングランド——出版界は書籍の検閲制度から解放され、(性的な)表現については概ね自由を享受するようになった。だが、19世紀に入ると、大衆読者の道徳意識が高まり、出版界は積極的に書籍の内容や表現を自主規制せざるをえなくなる。本書は、現代にも通じるイギリス出版界における自主規制を多角的に分析し、その実態に迫ろうとする試みである。また、道徳主義的態度(グランディズム)に抗するハーディの戦略を検証することで、彼の創作上の挑戦を読み解くものでもある。
第Ⅰ部では、大衆検閲の実態を、道徳推進団体・出版界・法曹界・文壇における議論を踏まえ、多角的に検証する。
第1章ではまず、ポルノグラフィ・ビジネスの繁栄とゼノフォビアとの繋がりに触れ、次いで、「清らかな」イギリス社会の実現のために設置された道徳推進団体の活動内容、特に大陸の「みだらな」印刷物に対する取り締まりの実態を明らかにする。第2章では、書籍の出版流通制度の断層に光を当てるとともに、読者の保護のために不本意ながらも出版関係者に協力する作家や、グランディズムを内面化して小説の表現内容に介入する読者、さらに読者の介入に翻弄される出版関係者の存在を明らかにすることで、一筋縄ではいかぬ作家・出版関係者・読者の関係を炙り出す。第3章では、表現の自由と読者の保護をめぐる議会議員・法曹界・出版界の議論の歴史的展開をたどりながら、書籍の廉価版刊行をめぐって繰り返し発現したゼノフォビアを浮き彫りにする。第4章は、蚊帳の外に置かれる傾向にあった作家たちの表現の自由をめぐる議論を掬い上げようとする試みである。第5章では、ハーディがグランディズム対抗策として採り入れることになる書き換えという戦略およびその有効性を検証する。
第Ⅱ部ではハーディの作品に焦点を絞り、いわゆる五大小説、『はるか狂乱の群れをはなれて』、『帰郷』、『キャスタブリッジの町長』、『ダーバヴィル家のテス』、『日陰者ジュード』の読解を試みる。
第Ⅱ部では第5章と同じく、性的な表現をめぐる出版関係者とハーディとの軋轢にも言及するが、議論の焦点は硬直した道徳主義と向き合ったハーディがどのような物語世界を切り拓いたか、書き換えを経た各作品が最終的にどのように読みうる小説テクストに変貌したかという点にある。また各小説論は、本文改変を読解の補助線として用いることで、これまで自明視されてきた読みが必ずしも自明ではないことを明らかにする試みでもあり、第II部の最終的なねらいは各小説の新たな読解の可能性を拓くところにある。
終章では、大衆検閲の時代の再来に触れる。19世紀末以降のイギリスでは、グランディズムが衰退の一途をたどり、1970年代以降に入ると、自己検閲も制定法もほぼ作動しない(性的)表現の自由を謳歌する時代を迎える。だがその後は、コンプライアンスやポリティカル・コレクトネスなど、社会的・道徳的観点から表現は積極的に規制されている。およそ半世紀の時を経て再び自主規制の時代を迎えた今、なぜハーディの小説を読むのか、その今日的意義に触れながら本書の議論を締め括る。
【目次】
序章 検閲と大衆
第Ⅰ部 ヴィクトリア朝の出版・検閲・読者
第1章 「清らかな」イギリス
第2章 グランディズムと小説
第3章 書籍と法——表現の自由か、読者の保護か
第4章 表現の自由を求めて——誌上シンポジウム「イギリス小説における率直さ」
第5章 改変の詩学と政治学——ハーディの挑戦
第Ⅱ部 変幻するハーディ小説
第6章 『はるか狂乱の群れをはなれて』——『コーンヒル・マガジン』の検閲に抗して
第7章 『帰郷』——出奔か、駆け落ちか
第8章 『キャスタブリッジの町長』——暴走する正義
第9章 『ダーバヴィル家のテス』——語りの余白
第10章 『日陰者ジュード』——訣別の書
終章 大衆検閲の時代再び
補論 本文編纂の歴史——ハーディ小説のエディションをめぐって
あとがき
初出一覧
註
引用文献
図表一覧
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