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2025年10月31日

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著者名 署名 出版社 出版年
田吹長彦(編著) ロード・バイロン『チャイルド・ハロルドの巡礼』第四編 注解 九州大学出版会 2025年

【梗概】
 「ある朝、目覚めたら、僕は有名になっていた。」 イギリス・ロマン派詩人ロード・バイロン(1788-1824)は、24歳の時に長編詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』第1編・第2編(Childe Harold‘s Pilgrimage, Cantos I-II)を出版した。その直後に語った言葉である。彼はこの作品で一躍有名になった。その後、28歳の時に第3編を、30歳の時に第4編を出版した。
 長編詩の地理的背景は、イギリス、ポルトガル、スペイン(第1編)。地中海、ギリシア、アルバニア、エーゲ海、トルコ(第2編)。ベルギー、ライン川、スイス(第3編)。そしてイタリア(第4編)である。歴史的背景は、古代ギリシア・ローマの時代から、ナポレオン戦争で荒廃したヨーロッパ世界。物語詩、叙情詩、田園詩、風刺詩、挽歌の要素を兼ね備え、紀行文としての要素も併せ持つ。語られている内容は実に多様である。
 編者は、1998年までに九州大学出版会より第1編~第3編の詳注を刊行した。本書は、その掉尾を飾る第4編の詳注である。語意の解説はThe Oxford English Dictionaryを使用。内容の解釈は数多くの原書を参照した。年譜、バイロンの旅程、地図、図版、構成、索引などを含めて、長編詩の全貌を紹介する。
 バイロンは、1817年4月17日にイタリアのヴェネツィアを出発、29日にローマに着いた。5月20日にローマを離れ、28日にヴェネツィアに帰着した。地理的背景は次のようなものである。
 水の都ヴェネツィアの栄光と衰退。黄昏時のブレンタ河畔、高峰フリウリ遠望。ペトラルカゆかりの村アルクワ・ペトラルカ。フェラーラ、タッソと暴君アルフォンソ2世。花の都フィレンツェと傑人たち。トラジメーノ湖、大殺戮の古戦場。ウンブリア、水明爽やかなクリトゥンノの泉。大瀑布カスカタ・デレ・マルモーレ。ホラティウスが激賞した孤峰ソラクテ。永遠の都ローマの栄華と廃墟。アッピア街道、メテッラの巨大な墳墓。そして、地中海の大海原を遙かに望むアルバーノ山地、ネミ湖とアルバーノ湖。
 この第4編の後世への影響は甚大なものであった。主なものに、ベルリオーズの交響曲「イタリアのハロルド」、リストの交響詩「タッソ、悲哀と勝利」。ターナーの「ヴェネツィア、 嘆きの橋」、「貴公子ハロルドの巡礼―イタリア」、「テルニの滝」(「マルモーレの滝」)、「ローマ、虹のかかったフォーラム」、そして「月下のコロセウム」がある。
 日本では、明治20年に創設された帝国大学(東京大学)英文科で、英語教師ジェイムズ・メイン・ディクソンが、この長編詩を講読のテキストの1つとして使用した。在学中の夏目漱石は読んだ。与謝野鐵幹は、詩歌集「鐵幹子」の「人を戀ふる歌」の中で、澤村胡夷は、第三高(京都大学)の寮歌の中で、この長編詩を念頭に置いている。名曲「荒城の月」(作詞 土井晩翠、作曲 滝廉太郎)は、バイロンが、ライン河沿いに聳える古城を描いた部分にヒントを得ている。
 天才詩人バイロンの人生哲学は、万世にわたる啓蒙書として、歴史に残っている。

【目次】
はしがき
図版 (カラー図版16ページ収録)
Introduction
 I Childe Harold’s Pilgrimage 出版の経緯と意図
 II 全編の構成とstanza の詩形
 III Canto IV の概要
  (i) 年譜・Byron の旅程
  (ii) 構成
  (iii) Byron’s Travels(地図)
Childe Harold’s Pilgrimage, A Romaunt: Canto The Fourth
Selected Bibliography
Index

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