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2022年5月26日

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著者名 書名 出版社 出版年
松本靖彦著 『〈線〉で読むディケンズ』 春風社 2022

【梗概】
 本書はチャールズ・ディケンズの人物造形における想像力の働き方に関する研究書である。断片的な外的特徴から人物造形を行うにせよ、ある人物が他の人物に感情移入して涙を流すといった個人の心理を描くにせよ、また生と死の境目、はたまた人間と人間でないものとの境目におかれた人物を描写するにせよ、ディケンズは線を引いたり、越えたり、暈しているわけであり、結局は線の問題を扱っているといえる。このようなディケンズの想像力の特質を例証するのが、本書の目的である。
 例えば、他の人と心を通い合わせる回路を閉じてしまって久しい『クリスマス・キャロル』のスクルージが再び他者を愛するようになるためには、彼の思いが自分という人間の輪郭線を横切り、その領域の外部に向かって越境しなければならない。一方、『大いなる遺産』の主人公ピップにとっての最大の問題は、自分という領域の境界線をきっぱりと引くことができないことである。「紳士になってエステラと結ばれる」という彼の一世一代の夢は、彼を通して自分たちの目論見を実現しようとする人物たちの計画と抱き合わせにされてしまっていて、それに気がついたピップはどこからどこまでが自分の人生なのか分からなくなってしまう。また、『骨董屋』の主人公、ネルの最期においては生死の間の境界線が暈されている一方、『互いの友』の登場人物たちは生死の境を行ったり来たりする。
 このように、ディケンズの世界で繰り広げられるドラマは、線をめぐる問題でもあるのだ。その点に着目してディケンズを読む試みが本書の主眼なのだが、その作業を進めていく上で基本的なモデルを提供してくれるのが速記術である。
 なぜ速記術がディケンズを読む上での助けになるのか。それは「線を越えて」「写す(移す)」(=「写し」を増殖させる)という速記術の機能、そして速記の読み取りに伴う「ちょっとしたしるし」が概念やイメージに化けるプロセスが、彼の人物造形の手法に似ているからだ。速記術はディケンズの人物造形の比喩になり得るのである。「写す(移す)」ことについていえば、彼は人物の外的特徴を模倣する能力に卓越していたらしいが、これは眼で見た情報を即座に自らの身体に写し取る生身の速記術に他ならない。鏡の前で自分の小説の登場人物を演じながら執筆していたというディケンズは、自分の身体→鏡像→小説へと「(境界)線を越えて」情報を「写し(移し)」つつ人物造形をしていたのである。一方、断片的な外的特徴を人物の全体像へと膨らませていくことの多いディケンズの人物造形は、点やひっかき傷のような「ちょっとしたしるし」を概念やイメージに翻訳する速記の読み取りと質的に同じ作業である。彼の想像力は時にテキストの周縁部で、爆発的と言ってもよいほどの奔放なイメージ生成をしてみせる。イメージが咲き乱れ繁茂するようなその様子には、彼の想像力がもつ奔放だが生き生きとしたエネルギーが表れている。このような特質をもったディケンズの想像力を「速記的想像力」と呼び、小説執筆だけでなく演劇、公開朗読という他分野にまたがる彼の芸術すべてに共通するその働き方を分析することを、本書では目指した。


目次
序章
第一部:ディケンズの速記と想像力
第一章:ディケンズの速記と人物造形
第二章:ディケンズとホガースの速記術

第二部:境界線をめぐるドラマ
第三章:大人と子どもの境界線―大人の中に子どもはいるのか
第四章:自他を隔てる境界線 (一)『大いなる遺産』―ピップは自分の人生の主人公になれるのか
第五章:自他を隔てる境界線 (二)『ドンビー父子』―フローレンス・ドンビーは父親の宝となれるのか

第三部:境目の想像力
第六章:生きているのか死んでいるのか―見世物小屋としての『骨董屋』と人形の死に様
第七章:いずれは死なねばならぬから―ディケンズの『骨董屋』『互いの友』とフロイトの『快原理の彼岸』
終章:結論―越境するディケンズ(の想像力)


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