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2022年10月30日

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著者名 書名 出版社 出版年
海老根 宏 著 『英国一九世紀小説の光景』 音羽書房鶴見書店 2022


【梗概】
 本書は私が大学院生だった1960年代のエッセイから、最近の2018年の論考に至るまでの、主として19世紀の英国小説を中心とする論考の中から、論文18編(講演台本を含む)、座談会記録一編、小文4編を自選した英国小説論集である。題名を『19世紀英国小説の光景』としてあるが、「グレアム・グリーンについて」「『チャタレー夫人の恋人』を教える」および小文「『ユリシーズ』と小説書法の展開」という3編では、20世紀の作品にまで範囲を広げている。
 第一部「ジェイン・オースティン」は5章あり、日本文学へのオースティン小説の受容史、最近の読書史の成果とオースティン小説の内容との交点、しばしば非難される『マンスフィールド荘園』の道徳主義について、マンスフィールド邸の生活を「アイロニックな楽園」と規定しようとする試み、『エマ』の文体がヒロインの肉体的存在をいかに反映しているか、エドワード・サイードの『マンスフィールド荘園』についてのポストコロニアリズム的考察の分析を収める。第二部「サッカレイ」は『虚栄の市』におけるナレーションの多様性を扱う一編しかない。第三部『ディケンズ』は『ドムビイ父子商会』論と『大いなる遺産』論の二章で、前者はこの作品をアレゴリーというジャンルの観点から、また後者は主人公ピップのアイデンティティが希薄であることに、この作品の特徴を見出している。
 第四部「ブロンテ姉妹」は5章からなり、シャーロットの『ヴィレット』におけるナレーションの隠蔽、『嵐が丘』の解釈史、ヒースクリフが展開する人間批判の視点とキャサリン二世のあくまで人間の立場に立つ視点との二重性が『嵐が丘』の中心にあると論じる論考、あまり論じられていないエミリの戦争詩における主体の揺らぎの考察、最後に青山誠子、内田能嗣氏とのブロンテ三姉妹についての鼎談がある。第五部「ジョージ・エリオット」も5章あり、『ミドルマーチ』における語り手の位置、『アダム・ビード』を牧歌、心理小説、歴史小説という混合的ジャンルと見る論考、『フロス河畔の水車場』において理想化された幼年時代がセクシュアリティの介入によって混乱する点にこの作品のリアリティを見る作品論、英国選挙制度史の知見によって『フィーリクス・ホルト』の背景を解明した解説、『ミドルマーチ』における人間像の描出の多面性を論じた論文を収める。
 第六部「四つの小文」には、『クリスマス・キャロル』の歴史的位置、『ジェイン・エア』における肉体の位置、ハーディ『青い瞳』の死生観、『ユリシーズ』におけるリアリズムの20世紀的転回を指摘した覚書風の小文が並ぶ。最終の第七部「20世紀を覗き見る」には、グレアム・グリーンによる宗教的世界観の現代化を論じる章、『チャタレー夫人の恋人』を性教育という観点から論じる章がある。このように、本書は一貫したテーゼを打ち出す体系的な学術書とは言えないが、題名の「光景」という語に託したように、それぞれの作品の技法面と内容面に即して、それが描き出す時代と社会における生のヴィジョンを明らかにしようと努めている。

【目次】
まえがき
第一部 ジェイン・オースティン
 第一章 日本におけるジェインオースティン
 第二章 ジェイン・オースティンと読書
 第三章 『マンスフィールド荘園』の位置
 第四章 言語と身体性―『エマ』の文体から
 第五章 カントリー・ハウスと奴隷制 ―サイードのオースティン論をめぐって
第二部 サッカレイ
 第六章 『虚栄の市』の語り手
第三部 ディケンズ
 第七章 『ドムビイ父子商会』
 第八章 ピップの夢 ―『大いなる遺産』への一視点
第四部 ブロンテ姉妹
 第九章 書くことと隠すこと ―『ヴィレット』を読む
 第十章 『嵐が丘』の解釈 ―変遷と現状
 第十一章  ヒースクリフの人間批判
 第十二章  苦痛の世界 ―エミリ・ブロンテの戦争詩
 第十三章  鼎談 一五〇年後のブロンテ姉妹
第五部 ジョージ・エリオット
 第十四章 『ミドルマーチ』における作者のコメンタリー
 第十五章 『アダム・ビード』イメージと構造
 第十六章 自伝とセクシュアリティ ―『フロス河畔の水車場』をめぐって
 第十七章 『フィーリクス・ホルト』の歴史的背景
 第十八章 『ミドルマーチ』のヴィジョン
第六部 四つの小文
 1 ディケンズとクリスマス
 2 盲目のロチェスター
 3 墓場の恋人たち
 4 『ユリシーズ』と小説書法の展開
第七部 二〇世紀を覗き見る
 第十九章 グレアム・グリーンについて
 第二十章 『チャタレー夫人の恋人』を教える
初出一覧
海老根宏 著作目録
索引

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