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2022年9月29日

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著者名 書名 出版社 出版年
日本ソール・ベロー協会 編 『ソール・ベロー 都市空間と文学』 彩流社 2022


【梗概】
 本書は、ユダヤ系作家でノーベル文学賞を受賞したソール・ベロー(1915―2005)が創作した都市空間について、作品の多様な観点から論じたものである。
「第一部 ニューヨーク」――
 第一章では、ベローの『犠牲者』(1947)を取り上げ、シカゴ出身のベローにとってニューヨークはしっくりくる場所であったのか、当時の反ユダヤ主義的状況も視野に入れながら考察する。
 第二章では、『この日をつかめ』(1956)と短篇「未来の父親」(1955)を扱い、両者に通底する水のイメージや、都市のイメージの重ね合わせ的見方により、ニューヨークの多層的でダイナミックな可能性を明示する。
 第三章では『盗み』(1989)を扱い、階級や移民、人種による住み分けが顕著なニューヨークは、会社の重役を務めながら三児の母でもあるヒロインにとって、その両立が図れる場でもあったことを田舎との対照で描く。
「第二部 シカゴ」――
 第四章では、『宙ぶらりんの男』(1944)を取り上げ、主人公ジョウゼフによる語り、日記体、また自己との対話、さらに自滅的行動等を分析することで、それをシカゴという大都市によって消費された結果であるとする。
 第五章では、『ハーツォグ』(1964)の舞台となる1960年代のシカゴ市やニューヨーク市の特徴と主人公に与える影響を考察した結果、彼を救済するのは、田舎と都会の狭間で揺らいでいるところにあると結論づける。
 第六章、短篇「銀の皿」(1978)は、シカゴの多文化共生の地理的状況から、アメリカ社会と自己との間に隙間を保とうとする父子の物語として、移民のアイデンティティの問題の複雑さを描き出す。
 第七章の『学生部長の十二月』(1982)では、ルーマニアの秘密警察による監視社会であるチャウシェスク独裁政権と、白人と黒人の分断を鮮明にさせたシカゴのデーリー政権という圧政的統治者の存在が、両都市の特殊なムードを形成しているとする。
「第三部 外国の都市」――
 第八章では、「メキシコの将軍」(1942)、『オーギー・マーチの冒険』(1953)、「モズビーの思い出」(1968)を取り上げ、トロツキー暗殺事件の事後を取り仕切った将軍について分析し、メスカル酒や赤い土に象徴されるメキシコの風土にも目を向ける。
 第九章では、スペインを舞台にした短篇「ゴンザーガの原稿」(1954)を扱うが、アーヴィング、ヘミングウェイ、ブラウンと比較し、共通項を確認してから、最終的にはベローによるアメリカ核開発への批判を炙り出す。
 第十章で扱う『雨の王ヘンダソン』(1959)では、作中の舞台や二部族を割り出した上で、アメリカ文明を生きてきた主人公が本来の在り方を取り戻すためには、アフリカ奥地での文化接触による変容が必要であったと解く。
 第十一章では、ベローの手記「イスラエル――六日戦争」(1967)から、彼独自のまなざし、即ち戦争ジャーナリズムが見逃している点や、難民問題への見解など、六日戦争直後について論じる。
 最後の第十二章『エルサレム紀行』(1976)では、第四次中東戦争後のエルサレムを訪れたべローが、そこで魂の交わりや精神の共同体を構築する様子を考察する。
 (著者:鈴木元子ほか11名、総頁数324頁、判型A5)

【目次】
まえがき                                    大工原ちなみ
第一部 ニューヨーク
第一章 ソール・ベローとニューヨーク――『犠牲者』をめぐって《大工原ちなみ》
第二章 重ね書きされる〈アメリカの風景〉――「未来の父親」と『この日をつかめ』のニューヨーク《井上亜紗》
第三章 『盗み』にみるニューヨーク――セグリゲーションと女性の社会進出の観点から《上田雅美》

第二部 シカゴ
第四章 消費する都市、消費される自己――『宙ぶらりんの男』における物語形式と自意識の臨界《篠直樹》
第五章〈劇場〉としての都市――『ハーツォグ』におけるシカゴとニューヨーク《岩橋浩幸》
第六章 シカゴと移民――「銀の皿」にみる多文化共生の地理的状況《大場昌子》
第七章 二都物語――『学生部長の十二月』における二つの都市についての一考察《坂口佳世子》

第三部 外国の都市
第八章 メキシコ諸都市とソール・ベロー文学――「メキシコの将軍」『オーギー・マーチの冒険』「モズビーの思い出」《山内 圭》
第九章 スペインを舞台にした「ゴンザーガの原稿」にみる〝核への警鐘〟――ワシントン・アーヴィング、ヘミングウェイ、ダン・ブラウンとの比較から《鈴木元子》
第十章 生命の〈内奥〉とアフリカの〈奥地〉――ソール・ベローの『雨の王ヘンダソン』を読む《外山健二》
第十一章 ソール・ベローが見たパレスチナと六日戦争――アメリカ人として、ユダヤ人として《堤亮輔》
第十二章 精神の共同体と存続――ソール・ベローの『エルサレム紀行』《佐川和茂》

解説・あとがき                                 鈴木元子


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