著者名 | 書名 | 出版社 | 出版年 |
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太田 一昭 | 『英国ルネサンス演劇統制史――検閲と庇護――』 | 九州大学出版会 | 2012年 |
イングランドの演劇は中世以来聖史劇や奇跡劇そして道徳劇を中心としていたが、16世紀後半に世俗的な大衆演劇が発達し、シェイクスピアの登場でひとつの絶頂期を迎えた。演劇が隆昌をきわめようとしていたちょうどその頃、宮廷祝典局長を検閲者とする演劇の統制制度が整った。本書の目的は、その統制のありようを明らかにすることである。
本書は、序章、第1部「英国ルネサンス期の演劇統制」(第1章〜第5章)、第2部「シェイクスピアと検閲」(第6章〜第9章)、終章から構成される。序章では、歴史家や文学史家の多くが英国ルネサンス期の演劇統制を禁圧的と把握していることに疑義を呈したのち、当時の役者・劇作家たちは実は、宮廷祝典局長を検閲者とする演劇統制システムにむしろ保護されて一定の「表現の自由」を享受していたという、本書の主題を述べる。第1章は、ヘンリー八世時代からエリザベス朝までの演劇統制の歴史を叙述する。16世紀イングランドの演劇統制は、宗教改革と不可分の関係にある。当局の演劇に対する姿勢は、宗教改革の潮流の推移に応じて変化した。公権力は演劇をあるいはプロパガンダとして利用し、あるいは社会秩序を撹乱するとして禁圧した。第2章は、英国ルネサンス演劇と宮廷祝典局長とのかかわりを論じる。祝典局長による公演認可制度は祝典局長の経済的な利権と深く結びついていて、局長は演劇活動が促進されるように検閲認可権を行使した。第3章は、英国ルネサンス期の宮廷・枢密院がいかに演劇を保護したかを論じる。国王は特許状によって役者たちに強力な庇護を与え、有力枢密顧問官は劇団のパトロンとして演劇活動を支援し、検閲者(祝典局長)が発行する公演ライセンスは、役者たちを演劇の敵から守る盾となった。第4章は、エリザベス朝に発布された「浮浪者取締法」がいかに役者たちを保護したかを論じる。通説によれば、「浮浪者取締法」は劇団の活動に制限を加える法律である。本書は、「浮浪者取締法」は劇団の巡業活動を阻害したのではなく、助勢したと主張する。第5章は、戯曲の出版統制を検証する。当時出版の検閲に関与したのは主として聖職者であるが、戯曲本の出版認可については1607年頃から宮廷祝典局長が行うようになる。祝典局長はこうして、役者・劇作家だけでなく戯曲本出版者に対する支配権を確立した。
第2部では、検閲の影響が指摘されるシェイクスピアの作品を取り上げて、あるいはシェイクスピア劇の「検閲」と「筆禍」の「実情」がいかなるものであったかを詳述し、あるいは問題となっているテクストを分析し、あるいは作者自身によるテクスト「改訂」の可能性を検証することによって、シェイクスピア劇を検閲という歴史的文脈で説明しようとする論考の多くがいかに妥当性を欠くかを指摘する。そうすることはまた、検閲の戯曲本文への介入を力説する批評家が依拠していると思われる、禁圧的エリザベス朝演劇の統制システムという前提に疑義を呈することでもある。