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著者名 書名 出版社 出版年
越智 博美 『モダニズムの南部的瞬間―アメリカ南部詩人と冷戦』 研究社 2012年
【内容】

 本書は、1920年代米国南部のモダニズム作家の文学がなぜローカル作家にとどまらずにアメリカのモダニズム文学を、それどころかアメリカを代表する文学作品になるのかを、南部の詩人であり、農本主義者であり、新批評家でもある人々――ジョン・クロウ・ランサム、アレン・テイトら――の言説とその位相とを、1920年代から冷戦期初期にかけて辿りつつ考察したものである。もうすこし大きな文脈で言えば、本書は、アメリカ文学におけるモダニズムが、南部、あるいは南部をめぐる言説的編制と関わっていたという視点から考察したもので、狭義には合衆国南部の文学論、文学史をめぐる議論、広義にはアメリカにおけるモダニズム論、あるいはアメリカ文学の研究史といった側面を持っている。

序章および第1〜3章は、農本主義者が同時代の複雑な言説の配置のなかで、足場を築いていく過程を、最終的に彼らがたんなる南部という一地方の保守的言論人であることを止め、冷戦期リベラリズムをささえる知識人になるそのロジカルな帰結までを、外交を含めたナショナルな言説との交渉という点から辿る。

フュージティヴ詩人、農本主義、新批評という3つのフェイズを担った南部知識人は、近代性への反発という点で一貫しつつも、最終的には歴史と政治を隠蔽することで逆接的に一九二〇年代の南部モダニズムをアメリカのモダニズムへと意味づけしなおした。反動主義者(伝統主義者)としてファシストと同一視されながらも、彼らはどのような文学が国の大義、すなわち民主主義に資するのかについて、ラディカルに変換し、文学と文学研究から政治性と歴史性を抜き取ることによって、逆接的にイデオロギーなき民主主義を語った。彼らはイデオロギーなき自由という冷戦期のリベラリズムの生成現場にいたのだ。ここからわかるのは、冷戦期のリベラリズムがいかに歴史や政治の抑圧というレトリカルなしかけを抱え込んでいたのかということである。これは「文学が文学であることはどういうことか」という問いにも繋がるだろう。

第4章は、モダニズム文学の世界戦略の一環としての文化占領問題を考える。第二次世界大戦後、日本を「民主化」し、アメリカの敵から友へと「再教育」することに、文化政策がどのように関与したのか、本の輸入と翻訳をめぐって考察した。 

第5章は、南北戦争以降、南部を語ることにつきまとうジェンダー性に焦点を当てる。二〇世紀初頭のきわめてポピュラーなテクストが、南北戦争の敗戦で女性化して語られていた南部をいかに再男性化するのかを、オーウェン・ウィスターの『南部の男』(1902)、トマス・ディクソンJr.の『豹の斑点』(1902)および『クランズマン』(1905)の読解から考察した。これらのテクストに見られる明瞭な人種差別、ミソジニー、およびホモフォビアは、冷戦期リベラリズムの孕む暗部に隠微なかたちで結びつく系譜を形づくりもするだろう。

以上、「南部」の文学に焦点を当てつつ、ナショナル/ローカル/グローバルに転回し、かつ展開するアメリカの南部のありようにこそ、アメリカのモダニズムの重要な契機があることを示すのが本書のこころみである。

【目次】
はじめに

序章 農本主義者の立場
I  創られた伝統としての「現在の中の過去」
II 『アメリカ文学の再解釈』――アメリカにおけるアメリカ文学研究の制度化
III ニュー・ヒューマニズム論争
IV 南部における衝突地図
V ナッシュヴィルの農本主義者の立場

第一章 詩的南部連合―新批評と「南部文学」の誕生
I 制度としての南部文学
II フュージティヴ詩人と農本主義者の連続性
III 南部文学のモダニズム宣言――象牙の塔の政治学
IV 南部の新批評、新批評の南部

第二章 新批評の父たち―南部農本主義者の共同体
I.女性化する南部――合衆国最大の問題、それは南部
II.正しい伝統の創造

第三章 アメリカの白いヨーロッパー農本主義者のファシスト疑惑と、リベラル・ナラティヴ
I.アメリカの白いヨーロッパ
II. 農本主義者のリベラル・ナラティヴ

第四章 戦後少女の本棚――第二次世界大戦後の文化占領と翻訳文学

第五章 言説としての南部――男らしさの領有
I. 南部の男―共和国としての男の身体
II.「国民」の創生―白い男たちの帝国

終章
あとがき
初出一覧
参照文献
索引

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