著者名 | 書名 | 出版社 | 出版年 |
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松本舞 | 『ヘンリー・ヴォーンと賢者の石』 | 金星堂 | 2016年5月 |
【内容】
ヘンリー・ヴォーン(Henry Vaughan, 1621-1695)の詩集『火花散る火打石』(Silex Scintillans, 1650, 1655) に付されたエンブレムは、神の手が握る雷に打たれ、血と涙を流す、罪深き詩人の心を表すと考えられ、神に拠って命が与えられる瞬間、更にマクロコスモスのレベルで解釈を拡大すれば、神による天地創造を意味すると考えられてきた。更に、‘silex’ とはラテン語で「火打ち石」を意味する。本著は、ヴォーンの表現を神秘主義思想として分類されるヘルメス哲学の錬金術の理論や、医学理論を照らし合わせることで、錬金術や医学理論を含む神秘主義思想を用いたヴォーンの表現が政治批判を内包するという新たな視点を示す試みである。
序章では、冒頭のエンブレムに錬金術的な意味が見出されていることを提示しながら、ヘンリー・ヴォーンの詩群を神秘主義思想から論じた論文を確認した。
本著の第一章では、17世紀中葉に至るまでに出版された錬金術のマニュアルを手掛かりに、錬金術の定義や工程を概観した。また、清教徒革命の時代の錬金術の用語や概念の流動性が政治的利用の観点から極めて高かったことに注目し、錬金術と政治の関係について再確認した。第二章では、16、17世紀の詩人たちの錬金術の描写を検証していった。まず、錬金術の二つの現れ方を確認し、錬金術師に対する皮肉を顕著に表すものとして、ベン・ジョンソンの『錬金術師』を再検証した。
さらに第三章では、聖書と錬金術の相関関係、神の力と錬金術のイメージについての再検証を試みた。まず、聖書のエピソードを錬金術的に解釈する試みが行われていたことに注目した。さらに、人類の堕落と救済を神秘主義思想の文脈で捉え直し、感覚器官と幼年時代との関係を見出し、その政治的意味合いを探りながら神秘主義思想からの解釈を試みた。加えて、New Lightに対するヴォーンの批判が錬金術の表現を伴うこと、17世紀中葉の政治的文脈の中で、神秘主義思想、特に錬金術の中でも、過度な、誤った熱は、しばしば注意して排除すべきものとして説明されていること、終末論の論調が高まっていたことを示す神秘主義思想家たちの理論を再確認した。
第四章では、ヘルメス医学の理論に準じたヴォーンの表現を明らかにし、ヴォーンにとっての十字架は、苦難であると同時に、毒を薬へと変化させるパラケルスス医学がヴォーンの霊的医学の根底となるという見解を示した。さらに、マグラダのマリヤの技がこの世的な技としての「自然魔術」即ち実践的錬金術から霊的錬金術へと変化していることをヴォーンが表現したことを検証した。
第五章では、自然を物理的に破壊し、霊的に汚染する清教徒に対する批判を、神秘主義思想に準じた自然観から捉えなおすことで、ヴォーンの被造物の描写を再検討した。
楽園の中に存在する自然と人間の透明な状態への回帰は、堕落からの救済を錬金術的工程として読み替える本論での試みは、終末論と錬金術を結びつける新たなものである。 また、神秘主義思想における生きた自然の概念が、ヴォーンによって、より宗教的・政治的なレベルで、罪を暴き出す力へと変化させられたという新たな見解を示す本著は、神秘主義思想に影響を受けたヴォーンの自然描写を政治的に捉え直すという見地を目指したものである。