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著者名 書名 出版社 出版年
道家英穂 『死者との邂逅―西欧文学は死をどうとらえたか』 作品社 2015年

【梗概】

 本書は、西欧文学史上の著名な作品に繰り返し描かれてきた、「死別した者との再会」の場面に着目し、各時代の作品に表された死生観を、先行作品への引喩(アリュージョン)を手がかりに考察したものである。

 古代や中世には、主人公が生きたままあの世を訪れて、死別した肉親や恋人と再会する話があり、そこには悲喜こもごもの感情が表される。近代以降、来世を具体的に描く作品は文学史の表舞台から姿を消すが、現代になっても、故人が夢に出てくる、ふとしたきっかけで故人の生前の思い出が甦るなどの形で「再会」は描かれ続ける。そして興味深いのは、各時代の詩人や作家たちがそうした「再会」の場面を描くにあたり、過去の同種の場面を意識し、それを踏まえながら変更を加えていること、それによって過去の時代の死生観を修正し、自らの時代の新しい死生観を呈示していることである。

 第一部は古代と中世を扱う。『オデュッセイア』の来世は喜びも楽しみもないところである。『アエネーイス』では、冥界にエリュシオンが組み入れられるものの、全体としては影の世界に留まっている。ダンテは『神曲』で『アエネーイス』に頻繁に言及し、古代異教世界の死生観を訂正して、神の秩序のもとに置かれた「真の」来世の姿を示そうとした。だが中世後期のボッカッチョの牧歌「オリンピア」やガウェイン詩人の『真珠』では、早くも来世がリアリティーを失いつつある。

 第二部では近代を扱う。来世を「未知の国」とするハムレットは、死後の審判を行動の判断基準にできない。『ハムレット』は、宗教改革期の思想的状況のもとで生まれた、近代的な作品なのである。これに対し、冒頭に『ハムレット』の亡霊への言及がある『クリスマス・キャロル』はゴーストストーリーのパロディーだ。ユーモラスなこの作品はいわば生の讃歌であって、死は否定的に扱われる。しかしそんな物語の中に、死者への断ち切れない思いが垣間見られる。

 第三部は、現代の作品を取り上げる。『灯台へ』では、画家のリリーが、生前のラムジー夫人が創り出した和合の瞬間を小さな奇跡ととらえ、自身は、芸術において、同種の奇跡を現出させようと苦闘する。果たして芸術は宗教に取って代わりうるのか、という問題をこの作品は提起している。  ジョイスの『若い芸術家の肖像』では、宗教は束縛と死、芸術は自由と生のイメージでとらえられるが、その図式には収まりきらない部分が『ユリシーズ』に引き継がれる。『ユリシーズ』第6挿話では『オデュッセイア』、『アエネーイス』、『ハムレット』への引喩やパロディーがあり、死が茶化されているが、それでも亡き肉親への愛が虚無としての死を拒み続けている。 『失われた時を求めて』では、現代においては「癒やし」が「救い」に代わるものであること、また「癒やし」とは「忘却」であることが示される。プルーストはダンテの死生観を批判しつつ、現代における愛と死の観念や、芸術の意義を追究している。

 結論では、各時代の作品が、引喩により、先行作品の死生観を批判すると同時にそれを取り込んでもいることを指摘する。

【目次】

第一部 古代・中世―来世のリアリティー
 第一章 冥界への旅―『オデュッセイア』と『アエネーイス』―
 第二章 救いに至る旅―『神曲』―
 第三章 遠ざかる天国―ボッカッチョの二作品と『真珠』―
第二部 近代―現世重視への転換
 第四章 未知の国となった来世―『ハムレット』―
 第五章 生の讃歌と死者への思い―『クリスマス・キャロル』―
第三部 現代―芸術は宗教に代わりうるか?
 第六章 来世なき死生観―『灯台へ』―
 第七章 死者への冒瀆と愛―『若い芸術家の肖像』、『ユリシーズ』―
 第八章 癒やしと忘却―『失われた時を求めて』―
結論
あとがき

文献目録
索引

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